ブロンプトンで遠足

歩いて散歩・ブロンプトンで散歩

「ペリー提督が見た江戸湾の風景」 海から見たマンダリン・ブラフは高くて長かった

目次の項目は記事へリンクしてます。

 

前回は、崖(ブラフ)を探して歩きました

 

歩いていて家と家の間から、それらしい崖が見えると、路地を曲がってまた曲がって、崖の直線距離は約1000メートルありました。

 

つぎの写真は、本牧十二天にある「マンダリン・ブラフ」の案内板です。 

 

マンダリンブラフは点ではなくて線

今回は、この海図のなかの「マンダリン・ブラフ」の場所を示すところが、少しずれてるのではないかなー、ということについて探っていきます。

 

《 まとめ ① 》

海図では、マンダリン・ブラフというのは出っ張ったところだけのようにありますけど、本当は30メートルの高さで1000メートルにもなる本牧の長い崖のことではないか。

 

《 まとめ ② 》

海図にある「Haycock」というのは、本牧十二天のことを指している。

 

なので、このHaycockという表示も少しずれている。


上図は「本牧十二天緑地」の案内板からの引用 

 

マンダリン・ブラフは長い崖

では、《まとめ①の説明》です。

 

下の赤い線は歩いた軌跡で、緑色のところが高台、つまり崖です。

 

そのとき見た崖の高さを、国土地理院の地図で表したものです。

 

ここの崖ですけど、全部が30メートル以上ありますね。

 

なかには、40メートル近い崖もあります。

 

ということで、この場所は30メートルを超える崖が、1000メートル続いているということがわかりました。

出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院ウエッブサイト
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

海から見たマンダリン・ブラフ

で、もっとわかりやすくするために、平面の地図ではなくて立体的な地図はできないものかと、国土地理院のサイトに入って探してたら、ありましたよ。 

 

下は歩いた場所と、崖周辺の立体地図です。

 

わかりやすくするために、高さは全体に2倍にしてます。

 

そして、崖の色を『みかん色』にしました。

注・国土地理院の立体地図は、色が自由に設定できます。

 

こうすると、雰囲気はわかりますかね。

※上図3点

出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院ウエッブサイト
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

そしてつぎは、海から見たらこんなふうに見えたのかな、というイメージにしました。

 

ペリー提督ご一行様も、船からこんな感じで見ていたのでしょう。

 

で、ここでいきなり、黒船の時代にタイムスリップします。

 

ペリー提督が乗っている艦船の甲板のうえに、わたしたちもいますよ。 

 

波はおだやか、風も無く、あくびが出るようないい天気のその日。

 

高いマストに登っていた見張りの水兵が、双眼鏡の先に長いみかん色の崖を見つけたから、さあたいへん。

 

見張りの水兵がマストの上から大声で・・・

 

「提督! みかん色の崖が見えてきました!」

 

たぶんこんな状況だったのでしよう。 

 

どうですか、下の立体図でも、やっぱり本牧の長い崖が圧倒的に目立ちますね。

 

ということで、マンダリン・ブラフは、長い本牧の崖全体をいっていたと思います

 

出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院ウエッブサイト
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

本牧十二天は干し草の山?

つぎは、《まとめ②の説明》です。

 

ここで、ペリー提督が使った海図に載っている名前について、もう一度見てみます。

 

海図のなかの文字にHaycock、とあります。 

 

しらべたら、これは「円錐状の干し草の山」のことだそうです。

 

下の絵は、江戸時代の名所絵で、本牧十二天の絵です。

 

現地の案内板にあったこの絵の特徴はというと、

 

 ・岬の突端のような場所

 

 ・なんとなくとがっていて、上の部分が木々でこんもりしてる。

 

ということは、

 

この木々が枯れたら、干し草の山になって、そしてそれは岬の突端にある。

 
上図は「本牧十二天緑地」の案内版から引用

 

ということで、ベリー提督の海図にあるHaycockは、

 

【Haycock・・・円錐状の干し草の山】

  ↓ ↓ ↓

【本牧十二天】

 

だと思います。

 

下の写真は、現在の本牧十二天です。

 

江戸時代の絵から、こんなにも変わってしまうんですね。

どうでしたか、ここまではわたし流に解釈しての説明でした。

 

このはなしの始まりは、横浜開港資料館で「ブラフ」という言葉を見つけて、その「ブラフ溝」を探して歩いて、「マンダリン・ブラフ」に到着しました。 

 

横浜本牧は、おもしろそうなのが、まだまだありそうです

 

●出典・地図について
このブログに使われいてる地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html