京浜急行の杉田のバス停で、バスを待っているわけではありません。
今日はこれから、徒歩で崖を探しに行きます。
そうです、例のブラフの続きです。
今年の3月のブラフ溝から始まったブラフ探しは、まだ続いてますよ。
今回のポタは、ペリー提督が見た「マンダリン・ブラフ」は本牧だけだったのか?
という疑問が、ある日突然にブワーッと沸いて、それでは自分でその痕跡を探してみようと思ったしだいです。
で、ヨタヨタ歩いて、ここは富岡総合公園の北台展望台です。
ここにいるといまの時間、風はほどよく吹いて木陰があっていいですね。
どうですこの雰囲気。
たぶん、ここから見る夜景はバツグンなんでしょうね。
その展望台には、こんな説明プレートがありました。
プレートは、この展望台から見える海側の開発を、時代別に説明してます。
プレートは全部で三枚あります。
下の写真は大正10年の地図です。
オレンジ色の丸印が、ここの展望台の場所ということです。
もちろん海の開発はありません。
砂浜もありそうに見えませんね。
いきなりの崖になっているようです。
そしてつぎの写真は昭和48年のものですね。
オレンジ色の丸印の周りは、かなり埋め立てが進んでいます。
たしか、昭和30年から埋め立てが始まったと聞いてますよ。
そしてつぎの写真は昭和59年のものです。
そうとう埋め立てがすすんでます。
ここで、この地図を見ていて発見がありました。
この地図は国土地理院の地図で、地図利用のときに使う「表記文言と承認番号」がプレートにありましたよ。
国土地理院からは、昭和63年に使用の承認がされてますね。
そしてプレートの表記は、わたしが使っている文言と基本的に同じですね。
地図の下に書かれている「この地図は、建設省・・・」という文言です。
いまは、Webのアドレス表記も入れるようにいわれてます。
ちなみにこの文言は、国土地理院から「地図を使う場合は、こういうふうに書きなさいよ」と言われているもので、古い時代から変わらなかったんですね。
(国土地理院の地図を使うと、指示した文言を正しく使っているか、ブログをチェックに来ます)
で、話がずれてしまいました。
本題にもどします。
その後、崖をさがして歩いたんですけど、どうも歩くルートを間違えたようで、めぼしい場所が見当たりません。
最初のルート設定が間違ってしまったようですね。
下の写真の場所だけが崖の跡らしい雰囲気を出してました。
もういちど計画して出直しです。
○月日:2018年5月20日日曜日
○時間:10時~14時
○場所:横浜市金沢区・富岡
○距離:徒歩