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ただ今は午前9時、帆船日本丸の前にいます。
そして、くじらの尻尾のオブジェがあるこの建物は、横浜の港をまわる観光用の水陸両用バス「SkyDuck」の受付事務所です。
このバス、だいぶ前に一度見ましたね。
海の上を走るなんともヘンテコリンなかたちのバスでした。
で、受付事務所のなかは、まだ灯りがありません。
日曜日のきょうは、これからが本番ですね。
そして今日は、帆船日本丸の帆が広がる(これでいいのかな?)日のようですね。
そういえばここで、日本丸の帆をいっぱいに広げている様子を見たことがありますよ。
おそろいの制服の作業の人が、キビキビとマストに登ってましたけれど、わたしには、まったくできませんね。
お金をもらっても、ぜったいダメです。
そして柳原良平アートミュージアムも、絶賛開催中。
帆船日本丸を後に、ワッセワッセと野毛の坂道を登ってきました。
ラジオ関東の開局の地
野毛山公園の前を左に曲がります。
見えているのは、こんな建物です。
どうみてもアンテナですね。
ではこの建物の近くに行って、じっくり見ましょう。
無人の建物には、なにやらプレートがありますよ。
これがそのプレートです。
そうなんですね、ここは、ラジオ関東の開局の地なんです。
ラジオ関東といっても、若し人は知らないでしょね。
だいぶ前の話になりますけど、名前を省略して、ラジ関(ラジカン)と言ってました。
いま放送中のラジオ日本(ラジオニッポン)のことですよ。
といっても、ラジオを聞く若い人は、だいぶ少なくなったのかなー。
そんななつかしい名前のプレートの横には、しっかりと、株式会社アール・エフ・ラジオ日本のプレートもありました。
“アール・エフ”というのは、ラジオ局のコールサイン、JORFのことです。
そのラジ関さんのアンテナのすぐ後ろの公園へ来ました。
横浜の近代水道設備の父
日曜日の朝、その公園の隅で、紳士はジーッと遠くを見てました。
その紳士は、イギリス人ヘンリー・スペンサー・パーマーさんです。
“横浜の近代水道設備の父”と言われている人物です。
で、明治20年に、このヘンリーさんの指導でここの場所に、水道の配水設備を造ったということです。
しかも、このヘンリーさんが、あの獅子頭共用栓を、イギリスから持ってきたということなんですよ。
以前に見た、開港記念館の庭にあった、あの獅子頭共用栓ですよ。
(なんとなく、いままでポタしたところが、つながってきたぞー)
では、その水道設備を見に行きましょう。
こんな案内があります。
これを読むと、なんと水源までの44キロもの距離を、水道管などの工事材料を運ぶために、トロッコを使ったそうですよ。
そしてここが「野毛山配水池」
ざんねんですけど、この門から先へは入れませんでした。
たぶん、あんまり古いので、入ったら危ないのかなーって、おもったところです。
で、配水池の屋上(?)には、こんな建屋が見えますね。
洋風建物が好きなわたしとしては、ぜひとも近くで見たいんですけど、こればかりは仕方ないですね。
少々ざんねんな気持で帰ろうとして、自転車をぐるーっと回したら、こんな案内がありました。
そうかここは、横浜市西区になるんですね。
この図だけでもこんなに散策ポイントがありますよ。
西区にも横浜の歴史がいろいろ詰まってます。
そんな野毛山の坂を下りてきました。
あんまり急な坂なので、今回も自転車からは降りてます。
そして、伊勢佐木町へ入りました。
伊勢佐木町といったら、ご存じ、青江三奈さんの看板です。
看板前のピアノもありますよ。
ここで、タイル絵を発見。
この絵は、たぶん初めて見るかな。
そしてラジオ日本の本社があるビルに来ました。
このビルの前は、自転車でときどき通ってますね。
で、あらためてラジオ日本のビルの前で、記念撮影です。
今日は野毛山にも行ったし、これで帰ろうかなと、山下公園へ寄って駅に向かうところで、こんなものを発見しました。
まさに、この写真の位置で、こんな感じでした。
写真の下のほうに、なにやら四角い石があります。
テレビ神奈川の開局の場所
この石に、ナンダコレ?
で、近寄ってシゲシゲと見ると。
おおーっ!ここは、テレビ神奈川の開局の場所だったんですね。
それでこの石のデザインは、TVKの文字なんだ。
そういえば、この場所のちょっと先には、あのヘボン博士邸跡の碑がありますよ。
2016年5月に、このあたりをポタしたときに、その碑の写真を撮りました。
向うに見える建物は、横浜地方合同庁舎です。
あのときは、この石には気が付かなかったなー。
そして、テレビ神奈川の跡地は、でっかいマンションになってました。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
○月日:2018年5月27日日曜日
○時間:9時~13時
○場所:横浜・野毛
○距離:11Km