ブロンプトンで遠足

歩いて散歩・ブロンプトンで散歩

「ペリー提督が見た江戸湾の風景」 ペリー艦隊の停泊地、八景島シーパラダイスの沖を空中写真と海図で見る

目次の項目は記事へリンクしてます。

 

前回は、八景島シーパラダイスの敷地にある『アメリカン・アンカレッジ』の記念碑に来ました。

 

「アメリカン・アンカレッジ」とは「アメリカ停泊地」ということです。

 

で今回は、その「アメリカ停泊地」の場所を探すことにしましょう。

 

ここではつぎの海図を使います。

 

 出典・引用  

f:id:aozorapota8823kun:20190811174002p:plain

出典引用元 

海上保安庁 海洋情報部 海洋情報資料館

「BAY OF YEDO」

※元の図から抜粋して加工してます 

 

この海図は海上保安庁さんのホームページにあったものをお借りしました。

 

もちろん電話をして、資料の利用の確認をしましたよ。

 

この海図は、ペリー提督が航海を終えたあとアメリカで作られた、ということです。

 

ということは、ほとんど同じものを使っていたと思いますので、この海図を使います。

 

・・・

 

ペリー提督は、第1回目の訪問(来航)の時、1853年7月14日、久里浜に上陸し、アメリカ大統領の国書を日本側へ渡しました。

 

幕末の狂歌に、

 

「泰平のねむりを覚ます上喜撰(じょうきせん)たった四杯で夜も眠れず」 

 

という有名な狂歌がありますけど、ペリー艦隊の来航は、第1回目は4隻で、第2回目が7隻だったんですね。

 

そして第1回目のとき、会見の終了後、ペリー提督は艦隊を江戸湾へ進めました。

 

Q:ペリー艦隊の停泊地の具体的な場所はどこか

資料によると、海岸から1.5海里の場所に停泊したそうです。

 

では、海岸から1.5海里はどのあたりかな?という疑問が湧きましたよ。 

 

下の空中写真は、国土地理院のもので1945年ころの空中写真で、その写真に1海里を1.8kmとして、1.5海里の距離を入れました。 

 

そうすると、小柴の海岸から2700mの場所だということがわかります。

 

では、なぜ停泊地を小柴沖にしたのか

 

ここで私、素人の見方ですけど、

 

なぜ、この場所に黒船が集まったかというと、

 

その1、水深がちょうどよく、波がおだやか。

 

その2、大砲の玉がとどく場所だった

 

と思います。 

 

大砲の玉が届くところ、というのは大きな問題です。 

 

ペリー提督は、結果的には一発の大砲も打たないで、すべて話し合いで外交をしたのですけど、ペリー自身が上陸するときにも、水兵のピストルには実弾をいれて、話し合いの会見場を大砲の射程に入れて、いつでも大砲が撃てる状態で、つまり臨戦状態でいたことからもわかります。

 

Q:ペリー艦隊は小柴の海岸からも見えたのか

で、そんなあぶなっかしい場所なんですけど、2700mの距離なら、当然ですけど海岸からは艦船のがハッキリ見れますね。 

 

天気がいい日に、黒いデッカイ艦船がモクモクと煙を吐きながら、外輪でスイスイ進んでいたら、そりゃー腰を抜かすおばあちゃんもいたでしょう。

出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院ウエッブサイト
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

Q:ペリー提督の海図には黒船が描いてあるのか

では、ペリー提督の海図には、どのように描かれていたかといことですよね。

 

最初に示した海図の沖のほうに、ゴニョゴニョと何か書いてあります。

 

これが黒船の集団です。

 

上の国土地理院さんの空中写真の場所と、雰囲気はだいたい合致してます。

 

Q:ペリー艦隊の艦船の名前はわかるのか

海図に描かれているニョゴニョの拡大が下の図です。

 

錨のマークが7つあつて、それぞれ名前が書いてあります

 

これは、ペリー艦隊の艦船の配置と艦船名ですね。 

 

艦船の名前が7つということは、そうです、この海図はペリー艦隊の第2回目の来航の絵だったんですね。

 

大砲がいくつも見える黒船が、これだけ沖に並んだら、完全にギブアップでしょ。 

 

そして、海図には何やら数字がバラバラと書いてあります。

 

これは水深ですね。

 

ペリー艦隊は、湾内で黒船を進めていくのに、水深を図る測量船を先に行かせていたんです。

 

ペリーの艦船は当時の日本の船と違って喫水が深かったので、慎重に進めないと、初めての港では座礁してしまいますからね。

 

・・・ 

 

ところで、長さを表現するのに、昔は尋(ひろ)という言葉を使いました

 

1尋は両手を広げた長さで、だいたい1.8メートルということです。

 

なので、

 

つぎの海図にある、13尋は、約23メートルになりますね。

 

12尋は、約21メートルです。

 

下の海図では13や12の数字が散らばっていますので、だいたい海面下20メートルの浅瀬が広がっていたといことが、わかります。

 

 出典・引用  

f:id:aozorapota8823kun:20190826162329p:plain

出典引用元:

海上保安庁 海洋情報部 海洋情報資料館
「BAY OF YEDO」

海図アーカイブ

*海図の一部を切取り使用

 

下は、艦艇の配置をもう少しわかりやすくしたものです。

 

船の配置がよくわかりますね。

 

このとき、ペリー提督が乗っていた旗艦は、ポーハタン号でした。

f:id:aozorapota8823kun:20190826172603p:plain

◆空中写真と地図について◆
この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図(タイル)を複製したものです。この地図を、第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認を得なければなりません。
承認番号:平29情複、第1105号
地理院タイル一覧ページ 
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html