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「ペリー提督が見た江戸湾の風景」 ペリー艦隊に同行した画家、ハイネが描いた平潟湾の絵が見たかった

目次の項目は記事へリンクしてます。

 

先日は平潟湾のまわりを少し回って、金沢八景駅から帰りました。

 

そこで少しお話します。

  

平潟湾は埋め立てられた

まず、先日歩いた場所が下の地図で、赤い線が歩いたルートで、平潟湾の左側がほぼ直線になってます。

 

金沢シーサイドラインの線路も(線路ということでいいのかな)、このまっすぐな岸に沿って走ってました。 

 

そして地図の下の空中写真は、昭和24年ころの平潟湾です。

 

平潟湾の大きさがだいぶ違っていて、ずいぶんと広いです。

 

湾の左側の部分が、まーるくなってますね。

 

この地図と空中写真を比較して見ると、地図でちょうど真ん中あたり、金沢区という文字のあたり、柳町のところは埋め立てられてできた町だ、ということがわかります。

 

▼現在の平潟湾の地形図  赤線は歩いた軌跡

▼昭和24年ころの平潟湾

出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院ウエッブサイト
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

平潟湾の絵は簡素すぎる

さて、下の絵はペリー提督が航海のあとアメリカで作られた、といわれている海図、「BAY OF YEDO」の一部分、平潟湾です。

 

作られたということは、ほぼ同じものを使った、ということにします。

 

平潟湾のなかに「GOLDSBOROUGHINLET」と書いてありますね。

 

GOLDSBOROUGHというのは、アメリカのノースカロライナ州の町だそうです。

 

INLETというのは、入り江ですね。

 

で、この絵を見て??と思いました。

 

それは、この海図の全体を見てみましょう。

 

海図は全体的に、海岸線などがかなり細かく書かれてます。

 

下の岬の部分などはしっかりと見て描いてる、というのがわかりますね。

 

では、この平潟湾の部分はどうでしょうか。

 

平潟湾の入り口はかなり細かく描いてあって、岩の感じなんかもいいでしょ。

 

でも入り江の中はさーっと、簡単に描いてます。

 

入り江の中の絵には、立体感がぜんぜんないです。

 

 出典・引用  

出典引用元:

海上保安庁 海洋情報部 海洋情報資料館
「BAY OF YEDO」

海図アーカイブ

*海図の一部を切取り使用 

 

平潟湾は非常に美しいところ

では、この平潟湾のことを、ペリー航海記ではどう書いてるかというとそれは、第1回目の日本訪問の翌日、1853年7月15日のところに、こんなようににあります。

 

・・・この部分の掲載を削除します。

 

航海記には、平潟湾のなかの風景が、すばらしくきれいだったと書かれてます

 

画家は平潟湾を見てなかった

ところで、ペリー艦隊の船に乗船したのは軍人だけではなくて、民間人も参加していて、いろいろな職業の人がいました。 

 

なにしろアメリカを代表して東洋の国々を訪問するという重大な仕事ですから、いろいろな知識と知恵が必要でしたんでしょう。

 

例えば作家のテイラー、ドイツ人画家のハイネ、銀板写真の技師で画家のブラウン、ジャーナリストのテイラー、生物学者のモローなどなど。

 

そこでここからは、わたしの勝手な推測です、

 

この海図を描いたのは画家のハイネだとすると、ハイネはこの入り江の中に入ってなかったと思いますね。

 

入り江に入っていたら、入り江の周りの風景の細かい部分も、しっかりと描きこんでいたでしょうね。

 

航海記にあるように、すばらしくきれいな風景を見て、画家がそのまま帰るとは思えません。

 

ということは、入り江の探索から帰ってきた水兵から中のようすを聞いたところ、見たこともない景色を想像することもできなかったので、描きようがなかったのではないでしょうかね。

 

それで海図にあるような、あまりにもあっさりした絵になってしまったのではないでしょうか。

 

ハイネ画いた平潟湾の絵が見たかった

下の絵は、前回に寄った「侍従川」の川べりにあったタイルの絵で歌川広重が描いた「西湖之八景武之金澤模写図」ということがわかりました。

 

平潟湾のなかは、こんなように、いかにも日本的な様子の景色でした

 

ペリー提督航海記の本のなかには、いくつもの風景画があります。

 

どれも、とても精密にしっかりとした線で描いてますよ。

 

どの絵も、いかにも洋風という雰囲気を出してます。

 

航海記のなかで「絵のように美しい」と表現されている風景を、画家が見落とすはずがありません。

 

画家のハイネがその目で見たなら、初めて見た平潟湾の景色に感動して、海図の海岸線の描写よりも、歌川広重の絵に負けないくらいしっかりと描きこんだはずです。

 

もしもハイネが水兵と同じ測量用の小舟に乗って、平潟湾のなかに入っていったら。

 

そんな情景を想像してみてください。

 

入り江に入った水兵と、ハイネの会話が聞こえてきますよ。

 

水兵が言います・・・

「ハイネ殿、

測量も終わって

もう時間ですので、
艦にもどりますよ」

 

ハイネの答えは・・・

「いんや、

まだ戻らない。

スケッチが描き終わってない。
もう少しここにいる」

 

画家ハイネが描いた、平潟湾の風景画を見たかったですね。

 

下の絵は、侍従川の川べりにあったタイルの絵、

歌川広重が描いた平潟湾の風景「西湖之八景武之金澤模写図」です。

 

こんな日本的な風景を、画家ハイネはどのように描いたのでしょうか。

 



 

●出典・地図について

このブログに使われいてる地図や空中写真の一部は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。この地図を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認を得なければなりません。

承認番号:平29情複、第1105号

地理院タイル一覧ページ 

https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html