昨日のブログ記事を読み返したら、どうももう一つ足りない。
何がたりないのかというと、説明の内容がモワーッとしてるんですね。
そこで川崎市のホームページでいろいろと探したら、ありましたよ。
「にかりょうようすい こどもむけページ」というべージがありました。
↓↓↓ Webアドレスはこちら、たいへんにわかりやすいですよ。ぜひ見てね。
http://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000075497.html
内容は全部 “ ひらがな ” で書いてあって、昨日からガキの頭になっているわたしには、よく理解できました(まる)
なので今回は使わせてもらいます。
記事の写真と絵は、すべて川崎市のサイトからの引用です。
川崎市さんへ、このページの多くの出典は、小学生の勉強と思って許してください。
そのサイトアドレスを下に載せますので、興味のある方はぜひのぞいてみてください。
http://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000075497.html
まずは、久地分量樋(くじぶんりょうひ)です。
久地円筒分水ができる前の、江戸時代から活躍していたものですよ。
昨日のポタでは、現地には行ってないですけどね。
その久地分量樋の説明ですけど、この書き方、わかりやすくていいでしょ。
では、上の絵と写真をもう少し細かく見ていきますよ。
久地分量樋は江戸時代に作られて、壊れたらまた作ってを繰り返したんでしょうね。
つぎの写真はその何回目かの設置工事の後に、みんなで記念の写真を撮っているところですね。
帽子に背広の紳士が入ってるので、この日は撮影があるからお偉いさんも現場にやってきたのでしょう。
この撮影の後はお祝いの宴会かな。
そして久地分量樋は、久地円筒分水ができた昭和16年にお役御免になりました。
そしてつぎの絵は久地分量樋のしくみです。
木の枠の幅は耕作面積の広さで決めたようです。
まさにアイデアですね。
この「こどもむけページ」には、昭和16年から始まった久地円筒分水の説明もあります。
昨日行った、あそこですよ。
昨日わたしが撮った写真で、水の出口が四カ所ありますよと書きましたね。
その四カ所の説明が、じつにわかりやすく書いてあります。
こうしてみると、現地にあった案内板の「世界に冠たる」というのも、うなづけます。
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