今回は少しながい内容になるので、目次を作りました。
自転車散歩で、二ケ領用水の染物屋さんを探ります。
※目次の項目は記事の項目にリンクしてます。
- きっかけは「川崎歴史ガイド 二ケ領用水」
- 今回の結論 「万葉の歌碑」から1500メートルに、染物屋さんの二ケ領用水があった
- 「紺屋前の堰」
- 「紺屋橋」
- 「一本圦橋」(いっぽんいりはし)
- その昔、流れの幅は倍だった?
- 地図と空中写真で探る、二ケ領用水の染物現場
- 「紺屋前の堰」と「紺屋橋」
- 「一本圦橋」と「一本入りの堰」
きっかけは「川崎歴史ガイド 二ケ領用水」
ちょっと前にこんな案内小冊子を見つけました。
「川崎歴史ガイド 二ケ領用水」っていう、持ち歩き用のものです。
そのなかに「紺屋前の堰」というページがあります。
読んでみて、ホホーッなるほどねーって、ここでピンときました。
昭和38年まで二ケ領用水で堰が使われていた、ということです。
ということは、写真に写っているなー
ここが今回のポタリングの出発点です。
今回の結論 「万葉の歌碑」から1500メートルに、染物屋さんの二ケ領用水があった
以前に「万葉の歌碑」をきっかけにして、染物関係の名前がついた場所をアッチコッチ探してポタリングしました。
そこそこの場所がわかりましたね。
で、多摩川を挟んで目の前というような二ケ領用水にも、染物関係の場所があったんですよ。
その距離、約1500メートルです。
近いでしょ。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
「紺屋前の堰」
ここは二ケ領用水の「紺屋前の堰」
ブロンプトン君で走ってきました。
連休の真ん中、人込みとは全く関係ないような場所です。
今のところ、だーれもいませんけど、ご近所さんの憩いの場所ですね。
大きな木の下には、この場所が昔からの由緒正しいところですよ、という案内が立ってます。
「紺屋前の堰」 の案内が凛々しく立ってます。
川崎市さんがガンバッテ作ったんですよ。
その案内柱には、この場所には堰があって藍染屋があった、とあります。
今は上流の「一本入りの堰」が使われている、ということです。
ここでさっきの川崎歴史ガイドには「ここの堰は、昭和38年まで使われていた」とありましたよね。
この案内には「今は・・・」とあるので、この案内柱を作ったのは、なんと昭和38年以前なのかー
つぎはこの案内柱から見た二ケ領用水です。
この川幅では、染物を洗うことはできないですね。
用水の両側がコンクリートで固められてしまっているので、当時の川幅よりも相当に狭くなっているんだろうね。
「紺屋橋」
ハイ「紺屋橋」です。
ここはさっきの「紺屋前の堰」のすぐとなり、って言える距離です。
この橋は木製で、すこしの太鼓橋になってます。
やっぱり紺屋という名前からして、木で作ってあるほうが雰囲気がいいですね。
つぎの写真は、この橋の上から見ています。
こうしてみると、当時の川幅はずーっと広かったんだということが、なんとなくわかるような気になりますね。
「一本圦橋」(いっぽんいりはし)
ところで、川崎市の名産品に梨があります。
この橋は、その梨の木と実の形を橋の欄干にデザインしてます。
つぎの写真は、この橋から上流を見ています。
向こうには、川幅が広くなったところがありますね。
あそこに行きましよう。
ハイ、つぎの写真で先のほうに見える橋が「一本圦橋」です。
わたしが立っているところは「一本圦橋」より上流へすこし来たところです。
ここの川幅はだーいぶ広いです。
連休の真ん中のこの日、ただいまは正午に近い時間です。
何人かのご近所さんが、日向ぼっこを楽しんでいますよ。
つぎの写真はすこし下流へ移動して、上流側を撮ったものです。
こっちから見ると、二ケ領用水の川幅が右に出っ張っています。
その昔、流れの幅は倍だった?
つぎの写真を見てください。
歩道のところも、もともとは流れの中だったということが、容易に想像できる風景ですね。
こうして見ると、コンクリートの壁と歩道の部分も用水だったとすると、その昔は、この倍くらいの川幅があったかもしれないなー
ポタリングして撮影した写真はここまでです。
ここからは撮影した写真とアッチコッチ探して見つけた資料をもとに、二ケ領用水にあった染物関係の場所を探っていきましよう。
地図と空中写真で探る、二ケ領用水の染物現場
では、撮影した写真の場所を国土地理院の地図に落とし込みます。
それが次の絵です。
ポイントは四ケ所です。
青い線は二ケ領用水の流れです。
空中写真は、国土地理院さんのサイトにあった昭和23年のものを使います。
現在の地図と空中写真が、同じ場所だということを見てください。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
「紺屋前の堰」と「紺屋橋」
では最初に①と②の場所について、見てみます。
②については、橋のようなものは写ってないです。
紺屋橋はいつごろできたんでしょうかね。
①は「紺屋前の堰」があったという場所。
空中写真でも川幅がかなり広くなって、そこだけボコッと広がってます。
いかにもここで何かやってますよ、という雰囲気を出してます。
これだけ広ければ、布をいっぱいに広げて流しても充分でしょ。
やっぱりここに堰があって、藍染屋さんが使っていたんですよ。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
「一本圦橋」と「一本入りの堰」
つぎは③と④です。
③の場所は「一本圦橋」ですけど、この空中写真には写ってないですね。
空中写真の④のところは、川幅もかなり広いです。
①の「紺屋前の堰」があったところよりも広いようです。
④には流れを遮るようなものが写っています。
これが堰なんでしよう。
まさに “ 堰き止める ” っていうような形ですね。
そして「紺屋前の堰」の案内柱に “ いまは上流の一本入りの堰が使われている ” とあるので、この写真の横に張り出した影が「一本入りの堰」なんですね。
その昔、ここには近所からおおぜいの染物職人さんがやってきて、毎日ワイワイやりながら、布を洗っていたんでしょうね。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
●記録
月日:2020年11月22日 日曜日
時間:10時~13時
場所:二ケ領用水
距離:6Km
●関連したもの
万葉の歌碑を見た後は、名前の路上採集に出かけます(その4)道路標識の絵は物語です
●参考資料・引用元
・川崎歴史ガイド「二ケ領用水」
発行:川崎市文化財団
・空中写真
国土地理院
地図・空中写真閲覧サービス
写真番号 22
撮影年月日 1948/01/18(昭23)
撮影地域 東京西南部
●地図について
このブログに使われている地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図(タイル)または、地理院撮影の空中写真を複製し、自転車走行軌跡等を追加加工したものです。国土地理院:https://maps.gsi.go.jp/