京王線の飛田給駅前に来ました。
なかなかの立派な駅舎です。
そしてこの近くには、調布飛行場があります。
飛行場の近くに、『飛田』っていう言葉が付く名前の駅があるんですよ。
この町の人たちは、飛行機が大好きなんですかね。
今回は、この飛田給駅前から歩いて、大国魂神社まで行きます。
前回に行った「府中伝説の道」の案内柱にもご挨拶しましょう。
ところで府中市には、昔むかしの古いふるーい道が残っているんです。
武蔵国の中心、国府があった土地ですから、人の往来も盛んだったんでしょう。
そして府中には「いききの道」とか「筏道」(いかだみち)っていう名前の道があります。
どちらも古い道の「甲州古街道」で、そのまま甲州まで続いていたそうです。
そこで今回のテーマは
古い道
「いききの道」「筏道」を歩く
飛田給駅から大国魂神社まで
ということにします。
話の内容は、全体を二つに分けて前半と後半にします。
この記事は前半です。
前半では、飛田給駅前から庚申坂(こうしんさか)というところまでです。
今回のコースは、とくべつな観光名所ではないので、あくびが出そうな内容ですよ。
つぎの地図が今回歩いたルートの全体です。
下の写真は、飛田給駅横の路地です。
グーグル地図で見ると、この路地が「旧品川みち」になってました。
「旧品川みち」はここから駅の北側へ続いてます。
ところで、府中の「いききの道」と「筏道」はここからここまでまでです、っていう説明が見つかりません。
たぶん資料はあるのでしょうけど、わたしの調べ方が足りないのか、これが正しいんです、っていう内容が見当たりません。
ところどころの「ここが筏道だったところです」という資料は見つかりましたけど、ハッキリと「ここからここまでです」っていうものがないんですよ。
ならばということで、自分勝手に「たぶんこのあたりだろう」と、わたし流のコースにしました。
ではでは、スタートします。
まずは品川通りに出ます。
しばらく歩いて、脇道に入りました。
この細い道の感じ、なんとなく、それっぽい雰囲気でしょ。
ここを歩きますよ。
しばらくしてこんな案内がありました。
府中崖線白糸台緑地
この案内にあるように、まわりはかなり高い木立になってます。
そして府中崖線の、崖の上を歩いてます。
しばらく行くと、りっぱな碑がありました。
「おっぽり坂」とありますね。
説明には、この坂の下では美しい田園が広がっていた、とあります。
長い崖線からの湧水が豊富だったんでしょう。
この「おっぽり坂」は、かなりの急坂ですよ。
9.5%というと、わたしのブロンプトンでは登れません。
豊富な湧水を生んだ崖線です。
かなりの急角度でしょ。
緑地にあったこの絵、なんとなく昭和風ですね。
さらに行くとお寺さん。
お寺さんの前で、いま歩いてきた方角を見ています。
高い木立の下を、細い道が続いてます。
また碑がありました。
「まむし坂」とありますよ。
案内を読むと、このあたりにはマムシがいたんですね。
まむし坂から少し歩くと、お宮さんです。
つぎの写真のお宮さんの右側の道が、いま来た道です。
お宮さんの左には案内の碑があって「庚申坂」(こうしんさか)とあります。
「庚申さん」ていう言葉、聞いたことありますよね。
庚申塚というのが、あちこちにあります。
こちらはその庚申坂です。
今回の前半コースは、ここまでにします。
つぎは最初に提示した全体コースの図です。
飛田給駅前から庚申坂までです。
そして同じところを、立体地形図にしました。
では立体地形図を見ながら、ここからは勝手な想像です。
その昔、奥多摩では、伐採した原木を筏にして多摩川を下ったそうです。
筏乗りの筏師さんたちが「行ったり来たりして歩いた道」なので「いききの道」といわれたんですね。
筏師さんたちは、仕事が終わったら、いちばん近いコースで帰ろうとしますよね。
いちばん近いコースで、帰り道が分かりやすいところ、それはこの崖の上を歩いて帰ってきたと思いませんか。
崖下に広がる広大な畑や作物を見ながら、帰りの道を急いだのでしょう。
今回歩いたコースも、きれいに崖の上でした。
今回歩いたルートの詳細図を載せます。
●記録
月日:2021年3月25日 木曜日
時間:10時~14時
場所:府中市内
距離:歩き6Km
●関連したもの
古い時代の「いききの道」は筏乗りたちが歩いた「筏道」でした。
そんな筏道を探して歩きました。
●出典・地図について
このブログに使われいてる地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページhttps://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html