ハイ、前回は本牧十二天緑地にある、伊能忠敬の絵図を見たところまででした。
つぎの絵図がそれでしたね。
よく見ると「大日本沿岸興地全図(伊能大図部分)」となってます。
じつは、この絵図は『国会図書館デジタルアーカイブ』でも見ることができますよ。
『国会図書館デジタルアーカイブ』のほうが、断然きれいに見れますけど、今回はせっかくこの本牧十二天に来たので、この立て看板の絵図を使います。
つぎは、伊能忠敬の絵図に、今回わたしが歩いた範囲を入れました。
開始と終了が点線になっているのは、だいたいこのあたりかな、ということからです。
そして、地理院地図にわたしが歩いた軌跡を落し込みました。
赤色の線は歩いた軌跡で、道路に沿って歩いたのでグニャグニャです。
前回の記事で載せた写真のいくつかを、ポイントとして示します。
どうですか、伊能忠敬の測量コースと、だーいたい雰囲気は合ってる?
ここでもしっかりと、立体図にしました。
赤色の歩いた軌跡は、ほぼ崖に沿ってます。
横浜の山手を歩いていても、高台を歩いているということは気にしないですけど、こうして立体図にすると、かなり高い場所というのがわかりますね。
ところどころ、かなり曲がっているのは道路事情です。
つぎは国土地理院の地図のなかにある「明治期の低湿地」、というページを使って作製しました。
伊能忠敬の絵図と比較しましょう。
さっきの立体図と下の二つの図からわかることは、
- 伊能忠敬は崖の上を歩いた。
- 伊能忠敬の道順も、かなりグニャグニャ。
- わたしが歩いたコースは、現在の道路。
伊能忠敬は崖の上を歩いたのだから、測量しながらでも直線に歩けそうなものですけど、かなり曲がってます。
それは、崖の上には道があった、ということになりますよね。
ということは、わたしが歩いた道の一部は当時も同じ場所にあった、かもしれないです。
こういうふうに想像すると、同じ道を歩いたんだと、なんとなくワクワクしてきます。
※上図は国土地理院「明治期の低湿地」を加工して使用
今回は伊能忠敬が歩いた横浜の道の、ほんの一部を探して歩きました。
たぶん、伊能忠敬の研究家は全国にはたくさんいるでしょう。
その人たちからは「ちょっと違うな」って言われるかもしれないですけど、わたしはこれでイイんです。
そして当時の絵図を見てもらうとわかるんですけど、伊能忠敬が歩いた横浜の道は、まだまだありますよ。
さてさて、どこを歩こうかと「本牧十二天の樹木」さんに相談しましょう。
●記録
月日:2021年3月26日 金曜日
時間:10時~14時
場所:横浜山手
距離:徒歩3Km
●関連したもの
この記事の前半です
伊能忠敬記念館に4回行きました。
●出典・地図について
このブログに使われいてる地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページhttps://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html