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街角で発見「多摩川の筏流し」

多摩区役所の近くをポタポタして、ここに来ました。

目の前には、昔むかしの多摩川の筏流しの説明があります。

というのも、前回、府中の「筏道」を歩きましたね。

その筏がらみで、突然「アレ、あそこになんかあったゾ」というのがひらめいたんです(ひらめくのが遅い)

で本日、シゲシゲとじっくり拝見しています。

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こちらがこの案内にある「多摩川の筏流し」の風景です。

焼き付けたられた写真は、日焼けしてボロボロになってますけど、なんとか見れますよ。

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では、拡大しましょう。

こちらは大人数で筏に乗っているのかな。

全員がカメラの方を見ているね。

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このお方は、一人でふんばってます。

チカラが入ってますよ。

なんとなく、ファイト一発って感じ

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こちらは、二人で筏の上です。

右のおじさん、漕ぐのを止めて、完全にモデルさんしてます。

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ここで案内にあった説明を引用します。 

多摩川の筏流し
江戸末期の登戸の急速な発展には、多摩川の筏流しも大いに関係がある。
人口急増と再三の大火で、当時の江戸の材木需要は増すばかり。
多摩川を使つて運ばれた奥多摩地方の青梅材は、とくに急な需要に重宝がられた。
筏流しは秋の彼岸から翌年の初夏頃まで。
この間に何千枚という筏が下ってきた。
安永三(一七七四)年から明治初年まで、筏の運上金を徴収するため、登戸には筏会所が置かれている。
通帳に割印をもらうため、筏乗りたちは必ず登戸に立ち寄った。
筏乗りを泊める「上州屋」や「玉川楼」という筏宿も繁盛し、町は大いに活気づく。

この説明で、筏乗りたちは必ず登戸に立ち寄った 、とありますね。

ということは、府中の「筏道」は、この登戸につながっていたんですよ。 

それに、上州屋と玉川楼って、どこだろう?  

そんなことを考えながら、多摩川の川岸を走ってます。

 

下のリンク先は、多摩川の筏道についての詳細です。筏乗りをしていた古老の聞き書きを基に、河口の六郷橋から府中市内まで歩いて作った筏道散策マップです。

tamaikada.hateblo.jp

 

筏乗りたちが見たかもしれない多摩川の桜は、満開でした。

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●記録

月日:2021年3月31日 水曜日

時間:14時~16時

場所:多摩区内

距離:5Km

 

●関連したもの