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幻の水路?「横浜上水」の始まりの場所を探す

 「横浜上水

この言葉は、少し前に発行された地域誌を読んで知りました。

 

玉川上水はポタリングでも走りましたけど、「横浜上水」という言葉は初めてですね。

 

そこで、「横浜上水」の始まりの場所をさぐりました。 

 

「横浜上水」とは

稲田郷土史会『阿ゆたか』28号(平成2年発行)には、著者の鶴見邦男が「横浜上水と二ケ領用水」という題で書いてます。

 

結論から先に言うと、

明治の始まりのころの一時期、二ケ領用水を横浜の飲み水にしようとしたことがあって、その水路が「横浜上水」と言われているものです

 

では内容を引用します。

明治初期の稲田地区の地図を見ていると、二ケ領用水が「横浜上水」と書かれていることに気がつく。

ここにのせたのは明治十四年参謀本部作成の二万分の一地図「登戸村」の一部であるが、良く調べてみると「横浜上水」と書かれているのは明治初期の地図だけに限られていることがわかる。

このことは何を物語っているのだろうか。

出典:稲田郷土史会『阿ゆたか』28号(平成2年発行)

 

こんな具合で話が進みます。

 

当時の地図も載っていて、二ケ領用水のところに、左から右へ「水上浜横」という文字が辛うじて読めました。

 

稲田郷土史会『阿ゆたか』28号に書かれていたことを、かなり荒っぽく説明します。 

  • 横浜が開港して、人が増えて水が不足した
  • 水を引いてくる必要があった
  • スッタモンダで二ケ領用水の水を、横浜まで引いてくることになった
  • 明治6年に工事は完成したが、大きな問題があった
  • 問題は、鉄の配管ではなくて木管だったため、配管がこわれて水漏れが激しかった
  • 海水が混じって飲用には使えなかった
  • 別の水道施設を作る必要になった
  • 明治18年、外国人技師パーマーに依頼して、相模川から引き込む工事を開始

水不足で作った水路も短い期間で終了ということになったので、「横浜上水」という言葉が入った地図は、ほとんど残ってないんですね。

 

ここで、話をすこしズラシますけど、外国人技師のパーマーさんが先頭になってできたのが、よく言うところの「横浜水道」です。

 

ポタで歩いた保土ヶ谷道で、道路標識に「水道みち」って、ありましたね。

 

あの「水道みち」が「横浜水道」なんですね。

 

なんで「横浜上水」は話題にならないの

横浜市のホームページの中にある「横浜水道のあゆみ」を読んでみました。

 

そこには、パーマー技師が水道を作ったというところから、話が始まっています。

 

近代水道といえるのはパーマー技師がつくった横浜水道からなので、それ以前のものは、重みが無いんですね。

 

「横浜上水」が大成功になっていたら、話は別ですけどね。

 

たぶん横浜の小学校の授業でも、出ないでしょう。

 

横浜に永く住んでいる、おばあちゃんやおじいちゃんでも「横浜上水」のことは、だーれもしらないと思います。

  

「横浜上水」は、二ケ領用水のどこから始まっているか

その答えもありました。

 

引用します。

「稲毛川崎二ケ領用水路全図」には横浜上水の分水口が描かれており、鹿島田堰下より鶴見川をもぐって東海道の近くに沿って鶴見まで点線で記されている。

出典:稲田郷土史会『阿ゆたか』28号(平成2年発行)

 

なるほど、横浜上水の取入口は鹿島田堰ということですね。

 

ここまでわかると、どうしても見たくなります。

 

さっそく現地に行きました。

 

始まりの場所へ行く 

ここからは現地報告です。

 

JR南武線の鹿島田駅から、堀に沿って歩いてます。

 

雰囲気は、おじいちゃんとおばあちゃんの散歩道にぴったりでしょ。

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だいぶ来たら、こんな案内があります。

 

「わが国最初の工業用水」とありました。

 

そうなんだーと言って、頭を右に傾けるのを計算して、柱が右に倒れているのかな?

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用水路に鳥居がある 

案内にはこう書いてありますよ。

 

鳥居の所で用水は・・・

 

エッ、どこに鳥居があるの?

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?が付いた頭で少し先に来たら、ナント鳥居がありました。

 

たしかに鳥居ですよ。

 

でもなんで、こんなところにあるのかな。

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反対から見ると、鳥居のところで、用水路は左右に分かれてました。

 

なんとも、ヘンテコリンですね。

 

だいたいね、用水路の中に鳥居をつくるかー

 

こうして見ていると、ここに鳥居があったのが先か、用水路が先にできたのか、どっちなの。

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小学生の頭のおじさんは、用水路に鳥居があるのを見て、頭の上に??が点滅してます。

 

ここに説明があるので、よーく読みましょうね。

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「横浜上水」の説明は2行だけ

どれどれ、フムフム。

 

この説明でも用水は左右に分かれてます。

 

そして鹿島田とありますよ。

 

ということは、ここが鹿島田堰なんですね。

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こんなことも書いてありました。

 

“この鹿島田堰からは明治初期に横浜へも配水していました”

 

なーるほど、ガッテンです。

 

「横浜上水」の開始地点は、ここ鹿島田堰です

 

でも、たったの二行で説明が終わってしまうんですか。

 

そしてこの案内には、「横浜上水」という言葉も出てないですね。

 

地域誌『阿ゆたか』に書いてあったように、「横浜上水」が短い期間で地図から消えたことは、説明がたったの2行だけからも理解できます。

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●記録

現地調査

月日:2021年4月28日 水曜日

時間:13時~15時

場所:JR南部線・鹿島田駅周辺

距離:徒歩

 

●出典・引用:稲田郷土史会『阿ゆたか』28号 平成2年発行

 

●関連したもの

 

「水道みち」の標識

 

近代水道最古の水道管

 

外国船に売った「日ノ出湧水」

 

最初の水道蛇口「獅子頭共用栓」