だいぶ以前に「横浜上水」のことを記事にしました。
図書館の片隅にあった郷土史を眺めて、偶然見つけた「横浜上水」という言葉が気になって、現地までポタポタ歩いて行きましたね。
二ケ領用水にある「横浜上水」の取入口の近くと思われる場所で、写真を撮りました。
そしてつぎが、「横浜上水」という表記がある明治の頃の地図です。
文字は右から左へ、カッチリとわかりますよね。
出典:地図は「農研機構農業環境研究部門」内「歴史的農業環境閲覧シス
元祖横浜の水道?
ところで「横浜上水」という言葉は、ぜんぜん知られてない言葉ですね。
たぶん小学校の先生も知らないでしょう。
インターネットで調べると「横浜水道」という言葉はあっても、「横浜上水」っていう言葉は出てきません。
というのも、横浜開港のあとの世間のドタバタ騒ぎのなか、横浜の飲料水の確保が切実なものになって、素人がアーダコーダと言って作ったのが「横浜上水」です。
なんとかできた「横浜上水」は、水漏れで失敗作に終わりました。
この失敗で終わったというが、世間にぜんぜん知られてない原因なんでしょうね。
でもこの失敗が、その後の近代的な水道を作ることになったんです。
インターネットに出ている「横浜水道」は、「横浜上水」のあとの大きな事業です。
ということは、失敗作だった「横浜上水」は、横浜の “近代水道を作ることになった元” と言えるのでないかな。
ラーメン店風の言葉で表すと、元祖横浜の水道、ってことになると思います(勝手に言ってる)
元祖横浜の水道の「横浜上水」も、明治期に一瞬輝いたときがありました。
そしてその名前が地図に載ったんです。
横浜上水の文字は二ケ領用水の脇に
つぎの地図は、このページの最初に示した地図の範囲を、もう少し広くしました。
この地図は1880年代の『関東平野迅速即図』です。
文字の下の少し青色のクネクネは二ケ領用水です。
「横浜上水」は二ケ領用水から取り入れたので、二ケ領用水に沿うように記載されているんですね。
出典:地図は「農研機構農業環境研究部門」内「歴史的農業環境閲覧シス
ではここで、以前にも載せた郷土史のなかの一文を引用します。
明治初期の稲田地区の地図を見ていると、二ケ領用水が「横浜上水」と書かれていることに気がつく。
ここにのせたのは明治十四年参謀本部作成の二万分の一地図「登戸村」の一部であるが、良く調べてみると「横浜上水」と書かれているのは明治初期の地図だけに限られていることがわかる。
このことは何を物語っているのだろうか。
出典:稲田郷土史会『阿ゆたか』28号・横浜上水と二ケ領用水・鶴見邦男・平成2年発行
●出典・地図について
地図は「農研機構農業環境変動研究センター」内「歴史的農業環境閲覧システム」の地図から一部を抜粋して使用
農研機構農業環境研究部門
https://www.naro.go.jp/laboratory/niaes/
歴史的農業環境閲覧システム
●前回のポタで行った「横浜上水」はじまりの場所