川崎市の飛び地が東京側にあったんです。
今回はその飛び地を走って、思い出の品があるのか、路上採集をします。
つぎの地図は昭和57年のものです。
地図の中央の薄い水色が、多摩川です。
画面で、多摩川の下方が川崎市、多摩川の上方が東京都狛江市です。
どちらにも、宿河原という文字があるのが、わかりますよね。
これは、川崎市の宿河原の飛び地が、東京都狛江市にあったんです。
しかも、東京側の宿河原の範囲は、この文字の範囲だけだったんですよ。
ここまでわかったら、さっそく現地へ行きましょう。
出典:この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(C)谷 謙二により作成されたものを抜粋した。
ハイ、ここは狛江市と川崎市登戸の間に掛かっている、多摩川水道橋です。
これから狛江市側の路上採集へ行くので、シッカリと県境をマタイで行きましょうね。
で、いきなり旧宿河原の場所に来ました。
現在は、狛江市駒井町三丁目になってます。
ブロンプトンで、町内をぐるーっと一周しました。
あっちこっちキョロキョロ見て走っても、思い出の品はなーんにもありませんでした。
ただ、神社さんがあったので、これからそこに行きますよ。
小さな鳥居は、住宅の裏にポツンとありました。
鳥居をくぐって、思い出の品はないかとキョロキョロしていたら、ありました。
鳥居の柱の裏に注目です。
カッチリと、宿河原稲荷講中、と読めますよ。
まさしくここは、川崎市の宿河原だったんです。
狛犬さんの台座にも、宿河原稲荷講中、とありました。
ではここで、今回走ったルートの軌跡を地図にします。
つぎは現在の地図で作った走行軌跡です。
赤い線が走行軌跡で、多摩川のギリギリを走ってます。
走った場所には、駒井町(三)とあります。
反対側の川崎側には、宿河原(七)とありますね。
出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
そしてつぎは、最初に出した昭和57年の地図に走行軌跡を入れました。
宿河原とい文字を囲むように走ってますね。
この軌跡のなかが、川崎市の飛び地の「宿河原」だったんですね。
出典:この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(C)谷 謙二により作成されたものを抜粋加工した。
ではここで、今回のことで参考にした資料を載せます。
狛江市の東南隅の宿河原は、堤内わずかに東西四百メートル・南北百メートルばかり、堤外は、多摩川の河川敷である。
宿河原という地域の大部分は、川の南にあって神奈川県川崎市に属している。
多摩川が昔「あっちへ流れこっちへ流れた」結果に違いない。
『狛江・語りつぐむかし』 宿河原の心意気・12p
編集発行:狛江市企画広報課 平成2年8月
●記録
月日:2021年11月24日 水曜日
時間:10時~14時
場所:東京都狛江市
距離:15Km
世田谷側と川崎側を、渡し舟で行き来していたころの話です
関門トンネルで、山口県と福岡県の県境をマタギました
川崎にあった調布市の「飛び地」
●出典・地図について
このブログに使われいてる「地理院地図」は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
今昔マップ on the web
https://ktgis.net/kjmapw/index.html