ブロンプトンで遠足

歩いて散歩・ブロンプトンで散歩

『関門は関内のはじまり』谷戸橋 昔の谷戸橋は、今のフランス橋の下

この地図の名前は「御開港横浜之図」

いままで掲載していた絵図よりも、古い資料を発見したので、ここいらで内容を変更します。

・・・

ところで、1859年に横浜が開港してますね。

この絵図は1860年頃のものだそうです。

 

たった1年でこんなになるの?、という疑問を持つのも当然ですけど、年代はダイタイということでいいと思いますよ。

 

で、この絵図をよーく見ると、西の橋と前田橋の文字がわかります。

ということは、左端の橋は谷戸橋ということになりますね。

 

 出典・引用  

f:id:aozorapota8823kun:20210115180240j:plain

出典:「御開港横浜之図」

国立国会図書館デジタルコレクションより

元図から抜粋し名前や記号を追加して掲載

 

そして今回のテーマは

昔の谷戸橋と、そこにあった関門の場所を探す 

にしました。

 

つぎの絵図は、上の絵図の谷戸橋のところを拡大しました。

いままでアッチコッチの絵図やら地図を見てきたので、この絵図のなかに書き込んだ場所などについてもわかりました。

 

かんたんに説明します。

  • 谷戸橋の前には水町通りがあります
  • 谷戸橋の左下の海辺よりには、その後のグランドホテルの場所です。
  • ヘボン邸の場所は、谷戸橋を左に見るところです。
  • 谷戸橋へ続いている坂道は、谷戸坂ですね。
  • 「谷町」という書き込みがあります。

 

 出典・引用  

f:id:aozorapota8823kun:20210115180235j:plain

出典:「御開港横浜之図」

国立国会図書館デジタルコレクションより

元図から抜粋し名前や記号を追加して掲載

 

ところで、関内というのは、関門の内側というのは知ってますよね。

 

以前に、自転車で吉田橋にも行って、写真もいろいろ撮りました。

この絵図でいちばん面白いところは、関門がシッカリ描かれているんですよ

 

よく見てください、谷戸橋の川向こう側の通りです。

谷戸橋に入るあたりの海側に、門ができてます

 

人の絵がいくつかありますよ。

谷戸坂を下って、谷戸橋に入るあたりにも、他の家とは違う小さな建物がありますね。

 

これも関門の仕事をするところでしょうか。

赤い色で書かれた書き込みのところにも、どうやら門らしいものが描かれてます。

 

ということは、谷戸橋の関外側は、三つの方向に関門があったんですね。

与太郎さんは、どっちからも関内へは入れなかったんだ。

 



 

ここからは古い地図にあった、谷戸橋の場所を、実際に見つけましょう。 

ということで、さっそくやってきました、現在の谷戸橋です。

 

こっちは、交番側から撮ってます。

シドモア桜が満開になるのは、まだまだ先ですね。

谷戸橋の全景です。

で、谷戸橋の関内側に来て、キョロキョロしてます。

 

そうなんですよ、目の前にはヘボン博士邸の記念碑があるはずなんですけど、そこはマンションでした。

 

ということは、昔の谷戸橋はここではなかったんですね

もういちど、地図をながめて、ナールホドとわかりましたよ。

もう少し下流です。

ではつぎの写真で、結論を言います。

わたしが立っている川の向い側が、関内です。

  • 写真には、旧グランドホテルがあった場所、水町通り、旧ヘボン邸があった場所が写ってます。
  • 先ほどの絵図と比較すると、グランドホテル、水町通り、ヘボン邸の位置関係が、そのまんまです。

ということは、 わたしが立っている左側あたり、フランス橋の下あたりに昔の谷戸橋があった、ということになりませんかね。

 

そして関門は、わたしが立っている場所の両側にあった、ということですね。

f:id:aozorapota8823kun:20210110201607j:plain

で、ここの所在地は何というのかとキョロキョロして、わかりそうなものは、何もないですけど、見つけたのはこの電柱でした。

 

そこで東電さんへお願いです。

この電柱番号を「谷戸坂43旧谷戸橋跡」という名前にしてはもらえませんでしょうかね。(ムリだろね)

 



 

昔の谷戸橋の場所と関門の場所がわかったところで、山下橋を渡って、関内側に入ります。

 

さてここからは、グランドホテル跡と水町通り、ヘボン邸跡を見に行きましょう

信号の向う、横断歩道の先にグランドホテルがありました。

 

そして右の山下公園通りは、当時の海岸通りですね。

海岸通りは「バンド」と言っていたそうです。

グランドホテルがあった場所には、すんごい名前の保育園ができてました。

「うちゅう保育園」

うちゅう保育園の前を通り過ぎて、関内側を歩いてます。

この通りは絵図にもありました、ヘボン邸の場所とグランドホテルの間の路地です。

その名も「水町通り

そして水町通りから、さっきまでいた昔の谷戸橋側を見てます。

電柱番号は一般的ではないので、昔の谷戸橋の場所は、陸橋のフランス橋の下というほうがわかりやすいですね。

そしてヘボン博士邸跡の記念碑に来ました。

パチパチ写真を撮っていたら、なにやら見学会のご一行様が到着です。

ガイドさんの話に、ときどき、うなづいている同じ格好のおばちゃんたちでした。

 

ちょうど一人のガイドさんがいらしたので、聞いてみました。

わたし

「あのー、昔の谷戸橋は、今の谷戸橋の場所にあったんですか?」

 

ガイドさん

「いやー、少し下にあったんですよ。木製でした」

 

ガイドさんは、細かく「あそこにあった」とはいいませんでしたけど、今回のわたしの見方が正しかったです。

 

そして、わたしなりに昔の谷戸橋の場所と、横浜「関内」の元になった「関門」、そのひとつの「谷戸橋の関門」の場所がわかって、スッキリしました。

 

と、こんな具合で、他の関門についても調べていきますよ。

 



 

※2021年1月15日・再度改定して掲載

 

○月日:2018年12月2日日曜日

○時間:10時~13時

○場所:横浜・関内

○距離:4Km徒歩

 

西の橋と前田橋にあった関門

 

「関門」でも、九州の「関門海峡」を歩いて渡った記事

 

開港の道「よこはま道」を歩きました