ブロンプトンで遠足

歩いて散歩・ブロンプトンで散歩

八五郎と熊さんは、大山街道の溝口宿で大宴会

それでは前回の続き、後半です。

 

「横浜サンド」を食べそこなって、やってきたのは二子橋です。

 

二子橋の橋のたもとの信号の横にいますよ。

 

ここは何回も自転車で通過しましたね。

 

今日はじっくりと拝見しましょう。

 

目の前にある、なにやらデッカイ塊は二子橋の親柱です。

 

だーいぶ前に使っていたものですね。

そうです、ここは江戸時代には「二子の渡し場」でした。

 

多摩川をはさんで、江戸と川崎の間の渡し場ですね。

 

ところで「多摩川」って書きますけど、ふるい資料なんかを見てると「玉川」って書いてありますね。

 

「玉川」の言葉のなごりが「二子玉川」かな。

そして多摩川は鮎の釣り場でもあるんですよ。

 

知ってました?

さっきの二子の渡し場からが大山街道の川崎側なので、ビルにはこんな案内がありますよ。

 

ご存じでしょうけど、大山街道は江戸の赤坂から伊勢原の大山阿夫利(おおやまあふり)神社へお参りに行くための道です。

ピザのお店の横には「旧大山街道 二子の渡し場入口」という案内もあります。

 

たぶんピザを買う若い人には、この案内は目に入らないでしょうけどね。

そしてこの通りが大山街道です。

 

あいにくの曇り空で、雰囲気がなんとなく暗いな。

ちょっと走ってこのお店を発見です。

 

信号の角に「田中屋」さん。

 

資料をみたら「はかり」をあつかっていたようです。

 

創業が宝暦ですからね。

でさらに走って、ここは「大山小径」

 

ここだけ空間が開けてます。

その「大山小径」にはタイル絵がありました。

 

タイル絵というと、見たことがある横浜のタイル絵が思いつきますけど、こちらの大山街道にもありました。

 

そしてつぎのタイル絵が、大山街道の最初の「一」、赤坂御門です。

 

この赤坂御門が、大山街道のスタート地点ですね。

そして「二」、渋谷です。

 

当時の風景もよくできていて、見ていて楽しいですね。

そして「十五」、粕谷です。

 

ここまで来ると、大山不動までは二里ですか。

 

旅人さんは合羽姿で、出発準備完了。

この大山小径のいちばん奥には、こんなにデッカイ絵タイルがありました。

伊勢原の大山の全体を細かく書いてありますよ。

いちばん目についたのはこの部分で、絵タイルの右下のところの「一之鳥居」大山詣での最初の場面です。

 

おおぜいの人が、鳥居をくぐって押すな押すなで大山を目指していますね。

 

この傘の数が、すごいことになっています。

 

でも、はみださないでちゃんと並んでますよ。

 

こんな状態でも、当時から日本人は行儀よく並んでいたんですね。

そんな大盛況だった大山街道には、薬屋さんもありました。

 

「灰吹屋」さんです。

 

ビルの間に、この建物だけが「江戸時代してます」

ここからはわたしの空想です。

 

当時の大山詣は、江戸は赤坂から歩いて来て、二子の渡しを渡って川崎に入ったところが、ひとつの難所を越えたということ。

 

たぶん、浮かれた八五郎や熊さんたちは、二子の渡し場の宿で大宴会をしたことでしょう。

 

食べすぎ飲みすぎの翌朝には、この灰吹屋さんに寄って漢方薬のお世話になって、よっこらしょと大山を目指しました。

 

めでたしメデタシ。

※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載

 

○月日:2020年5月24日 日曜日

○時間:10時~14時

○場所:二子の渡し場から大山街道

○距離:30Km

 

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この日のポタの前半の記事

 

大山街道の世田谷を歩く旅人さんの像

二子玉川駅前にある古地図