先日は伊勢佐木町の通りを歩いて、有隣堂や文明堂のはじまりの場所を探して歩きました。
じつは、つぎの日も行ったんです。
どうしても確認したいところがあってね。
でその日、写真も撮ってそろそろ帰ろうと思って、関内駅まで来ました。
トコトコ歩いていて??・・ナンダコレ・・
関内駅が工事中で、その保護の壁に、つぎの写真が貼ってありますよ。
※関内駅工事壁の写真より
よく見たら、関内駅開業(1964年)と書いてあります。
関内駅の開業当時の写真を、たいせつに残しておいたんですね。
この写真のほかにも何枚かの白黒写真が、壁に沿って貼ってあります。
見てください、懐かしいアドバルーンも上がってますね。
※関内駅工事壁の写真より
この写真は、横浜市が持っていたものなので、ありがたく見させてもらいますよ。
で、つぎの写真がポイントです。
関内駅が水の上にあります。
※関内駅工事壁の写真より
電車が走っている脇には水面が映ってます。
※関内駅工事壁の写真より
つぎの写真は、水の上に続いている線路と、走っている電車の写真です。
この水面は、じつは川なんですね。
古い地図を見るのが好きなおじさんは、この川は「派大岡川」だとわかりました。
派大岡川っていうのは、だーいぶ古い時代、いまの大岡川と中村川を結んでいた川です。
どちらかというと、川というより運河です。
いまは高速道路になってますよ。
それで、「派大岡川」があったことは知ってましたけど、関内駅とからんで、カッチリとした写真では初めてです。
こうしてみると、この川はだいぶ広かったんですね。
※関内駅工事壁の写真より
ここでおじさんはヒラメキきました!
こういうとき、おじさんの頭はスーパーコンピューターより早く、アイデアがわくんです(遊びに関係したことは早い)
その名案は
“ ここで写真を撮って、それを空中写真で見たらどうなるんだろう ”
という案です。
どうです、なかなか面白そうでしょ(あんまりいない)
それではということで、まずは関内駅の北側のはずれでパチリと撮影します。
つぎは関内駅のだいたい真ん中あたり、蓬莱町の信号のあたりの歩道の上でパチリ。
歩道が整備されて、きれいになりました。
ここでキョロキョロしていたら、こんなのを発見です。
「第3大岡川ガード」
オオッ、ここに大岡川という文字があります。
まさしくこの場所が川だったということの証明です。
このガードは時代の証人ですね。
その時代の証人さんを見た後は、関内駅の南口の前に来ました。
ここでも写真をパチリ。
ここまでは関内駅の周りをウロウロしたところです。
そして帰ってきて、撮影した写真の整理をします。
ついでに国土地理院さん地図もアッチコッチ探します。
つぎの地図は、関内駅で撮った写真を国土地理院さんの地図に載せました。
おじさんは、あっちこっち歩くのにGPSを持って歩いているので、この作業が簡単にできますよ(変わり者)
どうですか、関内駅の北口と南口、そして真ん中あたり、うまい具合にポイントになりました。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
そしてつぎの写真は、おなじ場所の国土地理院の空中写真です。
空中写真の撮影時期は、1945年から1950年です。
関内駅の開業のだいたい19年から14年前の写真です。
見てください、関内駅で撮った場所、どれも川の中です。
そして、1964年開業の関内駅を作っているときも、作業場の下は川だったんですね。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
今回は関内駅のまわりの写真を撮っていて、大岡川という文字があるガードを見つけましたね。
では、古い地図に「大岡川」という表記があるかをさがしましょう。
明治時代の地図をいろいろと探しましょう。
そしたら、ありました。
つぎの地図がそれです。
「大岡川筋」って書いてありますよ。
この書き方を見たのは、初めてです。
別の地図には「派大岡川」っていうのもありますね。
「派大岡川」っていうより「大岡川筋」のほうが、時代感があっていいな。
横浜市中央図書館所蔵]最新調査横浜明細地図 明治44年
元の画像に場所等の名前や記号などを追記して掲載
●記録
月日:2020年11月13日 金曜日
時間:12時~14時
場所:関内駅
距離:-
●関連したもの
横浜にある「はじまりの場所」を探します 有隣堂・文明堂・不二家
●地図について
このブログに使われている地図空中写真は、国土地理院発行の電子地形図(タイル)または、地理院撮影の空中写真を複製し、自転車走行軌跡等を追加加工したものです。国土地理院:https://maps.gsi.go.jp/