この企画も四回目の投稿です。
いままでの三回は、布がらみの名前の「路上採集」に走ってました。
そして今回は、いままでの路上採集で見つけた場所を、ひとつの地図の上にプロットしました。
つぎの地図がそれです。
こうしてみると、多摩川の近くにワラワラと集まってますね。
実際にはもっと多くのポイントがあったんですけど、いままでの三回のポタリンクでは、これだけでした。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
そしてつぎの地図は、国土地理院さんの陰影図にしました。
こうすると立体感が出ます。
根川のくぼみが、はっきりと出てますね。
そして根川と多摩川の間に、ポイントがいくつか集まってます。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
ここまでは、探して歩いた現実のことです。
で、ここからは勝手な想像の話です。
さてさて舞台は万葉のころ・・・
- 根川は、今よりもずーっと大きな流れでした。
- その流れは、多摩川までの平地を、何本もクネクネしながら流れてました。
- この染地の地区は、争いごともそうそうなくて、比較的平和です。
- 人々は、のーんびり生活してます。
- 根川からの水が豊富で広い平地があれば、当然に作物がいっぱい取れます。
- この染地の人たちの生活は、畑でとれるもので、たいへんに豊かでした。
- 食べ物が豊富で、比較的平和なら、余裕ができます。
- 衣食住の、食と住が満たされれば、着るものがほしくなります。
- そうなると、この地域では機織り(こういう表現でいいのか)が盛んになりました。
- 毎日、男性は畑で作物を作って、布づくりは、主に女性のしごとになりました。
- できた布は、多摩川で洗います。
- ワイワイと、何人かの女性が、多摩川で布を洗っている風景が見えます。
- のんびりした空気の中、畑の向こうから、その風景を男性が眺めています。
・・・そうして、女性が川で布をさらす姿の歌が生まれました。
『 多摩川にさらす手作りさらさらに 何そこの児のここだかなしき 』
●関連したもの
2020-03-03
2020-03-04
2020-03-09
2020-03-10
●出典・地図について
このブログに使われいてる地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html