二ケ領用水の「榎戸の堰」(えのきどのせき)に来ました。
ここは二ケ領用水に掛かっている、小泉橋という橋の脇です。
この小泉橋には、太ったウルトラマンがいますよ。
ネ、どう見てもわたしには、太ったウルトラマンに見えてしまうんですけど。
太ったウルトラマンが凜々しく守っているのは、川崎市がニギニギしく建てた、由緒正しい小泉橋の説明柱でした。
そして本日のポタリングは、太ったウルトラマンがいる小泉橋から、二ケ領用水をさかのぼって行って、紺屋の碑をさがしに行きますよ。
自称、二ケ領用水調査隊の隊長としては、まだ見たことがない「紺屋の碑」を見つけなければいけません。
チンタラ走って、ハイ、いつもの「登戸の紙すき」案内です。
それにしても、本日も全面的に、この二ケ領用水の脇道はガラガラです。
そうこうしているうちに到着しました。
紺屋前の堰です。
この紺屋前の堰近くに、その碑があるということなんですけど、みつからないです。
かなりキョロキョロ、ウロウロしてました。
そしたら道路の反対側の、こんなところに隠れてました。
これじゃあ、わからないよ。
葉っぱをよけるために、道路に座るような姿勢で、一枚撮りました。
でもどうしても、葉っぱが邪魔してます。
紺屋前堰・・とあるのは読めました。
その後、調べたら「紺屋前堰記念碑」と書かれていました。
ここにあった堰でこの一帯の農家が、大きな恩恵に預かったということでこの碑が建てられた、ということですね。
それにしても、もっと目立ってもいいと思うんですけど。
記念碑の場所を確認できて、満足してさらに走りますよ。
こちらは、ご存知の紺屋橋。
ハイ、ここは以前来たときに、ご近所さんのご老人さんがおしゃべりに夢中だったところです。
どうも最近になって、椅子を新調されたようですよ。
できたての椅子で、ますますおしゃべりが盛んになることでしょうね。
元気でイイです。
で新しい椅子の前が、ここです。
以前のポタでは、ここに古い堰があったことを調べましたね。
古い空中写真にも、堰らしい陰が確認できました。
さらにブロンプトンのペダルを回します。
向こうの見えるのは、川崎市立中野島中学校です。
学校の手前が二ケ領用水で、中学校の掲示版と並んで、何やら真新しい掲示版があります。
そのピカピカの掲示版がこちらです。
本当にぴかぴかで、今年の3月に川崎市教育委員会が設置したようです。
ピカピカの理由は、令和2年3月に、二ケ領用水が「国登録記念物」に指定されたからです。
そうなると教育委員会さんも、力が入りますからね。
たぶん二ケ領用水にある案内を、全部この形にしたのではないでしょうか。
いいことですよ。
国登録記念物を見たあとは、川崎市の産業遺産にもなっている「上河原堰堤」(かみがわらえんてい)につきました。
ここも何度か来てますね。
きょうはそれほどの水量ではないですけど、水が多いときは、向こうに見える白いしぶきが、すんごいことになってます。
そしてここは、多摩川から二ケ領用水への水の取り入れ口です。
その取り入れ口の上に掛かっているのは「ピクニック橋」
ピクニック橋のたもとには、案内がありました。
なにやら、すごいことが書いてあります。
この説明を引用しますよ。
稲田堤の桜
日清戦争の勝利を記念して、
明治三一年、菅村の人々は
中野島から矢野口境にかけ
て二百五十本余りの桜を植
えた。その桜並木が、やが
て王子の飛鳥山と並ぶ東京
近郊の花見の名所となり、
昭和の初め頃には大いに賑
ったものである。若き日の
古賀政男もこの地に遊び、
その時の印象が名曲「丘を
越えて」のメロディーにな
ったと言われている。
昭和四三年、わずかに残っ
ていた桜も多摩沿線道路の
拡幅工事にあわせてすっか
り切り払われてしまった。
ここは、名曲誕生の地でした。
●記録
月日:2021年9月27日 月曜日
時間:10時~14時
場所:二ケ領用水に沿って
距離:13Km
●紺屋の堰をいろいろさぐる
●静岡県の油比正雪の生家も紺屋さん