前回までのはなし
前回は自転車で、川崎市の宮内地区にあった、川崎市最初の水道の水源地の場所を探して走りました。
あっちこっち見ても、それらしい思い出の品はありませんでしたね。
大山街道ふるさと館の展示を見て、資料をもらってきたんですけど、そのなかに「ここが宮内の水源だ」っていうものは無いんです。
資料にあるのは、宮内に水源があったというのと、全体の年表ですね。
宮内の水源は、
いつから始まって、いつで終わった。
場所はここだ。
っていうことが無いんです。
そんな細かなことまで書かないのが、普通ですよね。
でも、どうもこういうことに、こだわってしまうんですよ。
それで、今回は地図からその場所を探してみます。
ここで使う地図の出典について
地図と空中写真は、国土地理院作成の「地理院地図」からです。空中写真は1945年(昭和20)から1950年(昭和25)のものです。地図や写真には、自転車の走行軌跡や記号を追加してます。
大山街道ふるさと館と宮内地区の場所はどこ
では次の地図を見てください。
青い線は自転車でウロウロした軌跡で、二本あるのは往復です。
大山街道ふるさと館から、宮内地区までを示します。
青い線の上手にある白っぽい帯のような部分は、多摩川です。
宮内地区の地図を拡大
つぎの地図には、前回写真に撮った場所が3カ所あります。
どれも、もしかしたらここが水源かな、と思った場所でしたね。
宮内地区の空中写真
そしてつぎは、上の地図と同じ場所の空中写真です。
パソコンのモニターを前にして、この写真と、ずーっとニラメッコしてました。
そしたら・・・
下の写真の赤い三角の上に注目です。
なにやら、他とは違うようなものが写っています。
空中写真を拡大
では拡大写真です。
どうですか、なんとなく水源という雰囲気ですね。
漢字の田の字になっているのは、歩くための歩道になっているのでないかな。
この写真の上手は多摩川なので、川からかなり近いです。
たぶんここが宮内の水道水源地なんですよ。
この写真は1945年から1950年のものなので、宮内の水源地が使われた時期がこの年代に入っていれば、正解ということですよね。
勝手に水源地
ということで、つぎの地図に勝手に「水源地」と入れてみました。
フムフムと言って、この地図をじーっと見てたら、二つ気づきましたよ。
ひとつは、
ここが古い水源地とすれば、現在になって、その周りに水道関係の施設がいろいろあっても、納得がいきますね。
もう一つは、
「八ツ目土と水道水源地」の案内が、なんでこんな離れた場所にあるのかなと考えたら、この案内柱は川崎市の歴史ガイドなので、二ケ領用水の脇に立ててあります。
二ケ領用水の案内のひとつとして、近くに水源地がありましたということなので、こんな離れた場所になったのでしょう。
すこし手間取りましたけど「川崎市の最初の水道の水源地、宮内水源地を探す」は、ここまでにします。
●前回までの記事
●出典・地図について
このブログに使われいてる地図や空中写真は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html