- 川崎市の下布田公園に来ました。
- つぎは上布田公園。
- 少し離れたここは、東京都調布市の「布田南ふれあい公園」
- ご存じ「布田駅」です。
- 写真を撮った場所を、現在使われている地図に載せました。
- 川崎側の布田地域を拡大します。
- すこし古い昭和57年の地図で、川崎側の布田地域を見ましょう。
- 上布田公園と下布田公園の部分を拡大しました。
多摩川を挟んで、東京側と川崎側には、同じ名前の地名や呼称がいくつかあります。
その多くは東京側の「飛び地」でした。
先日、いろいろと資料を読んでみたら、「飛び地」だったところがどうしても気になります。
それではと、現地を確認することにしました。
今回は、東京都調布市布田の飛び地だった、川崎市の「布田」の話です。
そして川崎市の布田には、「布田」という名前が付いた公園が二つあります。
名前を上布田公園と下布田公園といいます。
ふつう公園が近くに二つあれば、第一公園と第二公園というような名前にするでしようけど、ここは違うんです。
ではどうしてこういう名前になったのか、飛び地と関係するのか、探ってみましょう。
川崎市の下布田公園に来ました。
どこにでもある、普通の町内の公園ですね。
お母さんとヨチヨチ歩きの子供が、日向ぼっこしてますよ。
その公園の前の電柱には、布田2丁目の地名。
「下布田」ではなくて「布田」でした。
つぎは上布田公園。
下布田公園から、すぐのところです。
ここの地名は布田29番22。
下布田公園と上布田公園は、同じ「布田」という地域にありました。
少し離れたここは、東京都調布市の「布田南ふれあい公園」
公園に、ちびっ子の姿はありませんでした。
ここで給水休憩をしましょう。
ご存じ「布田駅」です。
今回の自転車走行は、この布田駅までにします。
このあと帰って、写真と地図で、ゴニョゴニョしますよ。
写真を撮った場所を、現在使われている地図に載せました。
川崎側の上布田公園と下布田公園のあたりが、調布市布田の飛び地でした。
ついでに、下布田遺跡はおまけ。
それは東京と川崎の両方に、同じ「下布田」という名前がある場所を見たかっただけです。
出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
川崎側の布田地域を拡大します。
上布田公園も下布田公園も、多摩川に近いですね。
赤矢印のところに、布田という地名が確認できます。
出典:上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
国土地理院https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
すこし古い昭和57年の地図で、川崎側の布田地域を見ましょう。
青色のポイントは、現在の地図の場所と同じです。
よく見ると、上の地図にあった「布田」の地名の場所が、上布田と下布田になってます。
出典:この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(C)谷 謙二により作成されたものに追加加工した。1/50000「東京西南部」昭和56年修正・昭和57.3.30発行
上布田公園と下布田公園の部分を拡大しました。
たしかに、地名は「上布田」と「下布田」になってますよ。
これでなーるほどです。
最初の疑問で、
なんで公園の名前に上と下が付いているのか、わかりました。
飛び地の
上布田地域にある公園なので「上布田公園」
下布田地域にある公園なので「下布田公園」
ということですね。
時代が過ぎて、二つあった町名が「布田」という名前で統一されても、“町内の名所” だった公園の名前は、古いまま残ったんです。
出典:この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(C)谷 謙二により作成されたものに追加加工した。1/50000「東京西南部」昭和56年修正・昭和57.3.30発行
●記録
月日:2021年11月15日 月曜日
時間:10時~15時
場所:川崎市布田
距離:22Km
世田谷側と川崎側を、渡し舟で行き来していたころの話です
●出典・地図について
国土地理院
このブログに使われいてる地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
今昔マップ on the web
https://ktgis.net/kjmapw/index.html