ハイ、13日に来た場所にいます。
多摩川沿いの「バス停 玉堤小学校」です。
なんで、また、ここに来たかというと。
あの日帰ってきて、古い地図をジーッと見てました。
そして思いましたよ。
“ところで、炭はどういうルートで運んだのかな”
それで、もう少し見やすい地図を見つけました。
つぎの地図は、大正8年発行のものです。
鈴木家の倉から、多摩川へ向かって一本の道があります。
その道は、渡し場へ続いてますね。
渡し場は、下野毛の渡し場です。
資料によると、多摩川の筏流しは、大正時代の末ごろまであったそうなので、この地図の渡し場も、筏を留めるのに使われたと思われますね。
というこで、今回は
筏で運んだ炭は、炭河岸からどういうルートで鈴木家の倉まで運んだのか、実際に歩いてみよう
ということにします。
地図は時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(C)谷謙二により作成されたものに、場所等の名前や記号を追記して掲載
さっそく、玉堤小学校バス停からブロンプトンを押してます。
そしてここは、野毛2丁目の1。
では行きましょう。
細い道に沿って来ました。
ここは「たまね橋」
これから先は、坂が続きます。
坂の途中の「バス停 不動下」
ここで休憩します。
つぎの写真は、いま歩いてきた方を見ています。
そんなに急坂ではないんですけど、ダラダラと続く、なかなかの坂ですね。
ブロンプトン君は、ずーっと押しっぱなしです。
そして上り坂も一段落して、こんどは、すこし下り坂になりました。
この通りは「用賀中町通り」
ここからは下りですけど、ブロンプトン君は押していきますよ。
そのほうが、路上採集でいろいろ発見するにはいいんです。
で、めぼしい発見はなかったんですけど、鈴木家住宅穀倉に到着です。
カヤブキ屋根の下の雰囲気を撮ろうしたんですけど、黒く潰れてしまいました。
そしてつぎは、今回歩いた軌跡を地理院地図に入れました。
赤い線の軌跡は、距離にして1700mです。
しかもその半分はダラダラ坂でした。
で、この地図をジーッと見て思いましたよ。
“この距離を、炭俵を担いで歩いたのかな?”
地図は地理院地図に場所等の名前や記号を追記して掲載
では、今回このルートを歩いて、思ったことを書きますね。
当時の道は土だった
なので、雨の日にあのダラダラ坂を歩くだけでも、足を取られて、たいへんだったでしよう。
筏に乗せた炭俵は、いくつもあった
商売で使う炭ですから、筏にはいくつもの炭俵が乗っていたはず。
炭俵は、水を被って重い
筏は常に水を被っていたでしょうから、とうぜん炭俵もびしょ濡れ。
炭はたっぷり水を吸っている。
炭俵を炭河岸に下ろしたら、筏を出してしまう
筏は先を急いでます。
筏乗りたちは、休憩したら、サッサと筏を出してしまうでしょう。
これらのことから想像できるのは・・
炭河岸から鈴木家の倉まで炭を運ぶ、運送屋さんがいたはずです。
その運送屋さんは、炭河岸近くの人ですよ。
その人は、お客さん待ちの商売ではなくて、職人さん。
普段は家で仕事をしているんですけど、筏が着いて炭が下ろされると、呼ばれるんです。
一人にお願いすると、職人の仲間に声をかけて、数人が集まる。
職人さんにとっては、小遣い稼ぎに、いいアルバイトです。
運搬の依頼主は、もちろん鈴木家。
なにしろ鈴木家の使用人は、水をたっぷり吸った重たい炭俵なんて、運べないからね。
職人たちは、炭河岸に積んである炭俵を、ワッセワッセと担いでいくんです。
できれば、牛が引く牛車があると、あのダラダラ坂が楽ですね。
とくに雨の日なんかは、牛車がないと、坂を上がれないよ。
そんなことを想像しながら、わたしの頭の中では、まだまだお話が続いてました。
●前回の鈴木家穀倉へのポタリング
●長い坂はブロンプトンを押して上ります
●記録
月日:2021年12月16日 木曜日
時間:10時~15時
場所:世田谷区野毛
距離:30Km
●地図について
地理院地図
国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
今昔マップ on the web
https://ktgis.net/kjmapw/index.html