ここは、川崎市のバス停「宮内」です。
今月の29日も、この辺りを歩きましたので、宮内町と春日神社についてあれこれと載せます。
それで今回のお題は、
町内に春日神社があるのに、「春日町」ではなくて「宮内」にしたのはなぜか?
です。
明治時代の地図を、近寄って見る
まずは、つぎの地図を見てください。
川崎市の町、宮内町の地図です。
宮内一丁目から、四丁目までが確認できますね。
そして地図の右下に赤印をつけた場所は、春日神社です。
さて次の地図は、明治27年から大正4年の間に作成されたものです。
当然ですが、春日神社の場所は現在と同じところです。
どうですか、地図のまんなかに大きな文字で「宮内」としっかり読めますね。
そして、宮内とい文字のまわりを、ぐるーっと囲んでいるギザギサの線があります。
これは土堤か堤防で、土が盛られたところを示す書き方ですね。
この盛られた土の高さがわからないので、これからの話の都合上、ここでは堤防ということにします。
ということで、明治時代の末ころの宮内村は、堤防で囲まれていたんです。
そして堤防の内側、つぎの地図で黄色の範囲が「宮内村」でした。
ではここで、明治27年頃の宮内村の範囲を、現在の地図に乗せてみましょう。
つぎの地図は現在の地図で、黄色の部分が宮内村の範囲です。
この図からわかることは、現在の宮内一丁目から四丁目の範囲が、明治時代末の宮内村の範囲と、ほぼ同じだということがわかりました。
明治時代の地図を、鳥になって眺める
ではここで、自分が鳥になったと思ってください。
鳥になって空高く上がって、地上を見ましょう。
つぎは、そのとき見えた宮内村の景色を地図にしたものです。
時代は明治27年ころです。
この地図からわかること
- 宮内村の周りは、ぐるっと堤防に囲まれています。
- また、宮内村の北方向は、山谷という未開拓または開墾途中の土地で、人家は少ないようです。
- そして全体的に、多摩川の荒れ地が広がって、桑の畑があるだけです。
- 宮内村は、多摩川の河原の中に飛び出たところ、という印象ですね。
村の名前は「春日」ではなくて「宮内」にしたかった
ところで、神社がある町でよく目にする町名は、神社の名前をいただいて、そのまま町名にするところが多いです。
たとえば、春日神社がある町は春日町という名前になりますね。
そういうこの町にも春日神社がありますけど、町名は「宮内」です。
なぜなのでしようか。
ここからは、わたしの感想です。
(地図e)で示したように、明治時代の宮内地区は、ほとんど多摩川の中でした。
そして昔から、多摩川はたびたび氾濫したようです。
多摩川の中に飛び出したような宮内村は、なんども被害にあったと思われます。
それでも、ここの堤防が宮内村を守っていたことでしょう。
そして、堤防で囲まれたなかに春日神社もあります。
ここで少しだけ話を飛躍させます。
ということは、ここの村人たちの感情からすると、宮内村にいる自分たちは春日神社に守られている、という思いになるのは自然だと思います。
多摩川の氾濫があるたびに、村人と春日神社との “ 一体感 ” がさらに生まれてくる、と考えるのは飛躍しすぎでしようか。
そして、この宮内村に住んでいる人たちにとっては、堤防に囲まれた内側がすべて “ 春日神社の境内 ” だ、という思いが生まれてきても、不思議ではないですね。
村の名前を「春日」ではなく「宮内」としたことに、村人たちの気持ちが表れているようです。
●記録
月日:2022年10月29日 土曜日
時間:10時~15時
場所:川崎市中原区のあっちこっち
距離:徒歩
前回の宮内町散歩
めずらしい町名 岡山県笠岡市「カブト西町」
カブトガニの町です
多摩川の筏道をさがして歩きます
【地図の出典】
地図のそれぞれは「歴史的農業環境閲覧システム」の画像に場所等の名前や記号を追記して掲載。記号等の追記には「ひなたGISを用いた」
農研機構農業環境研究部門
https://www.naro.go.jp/laboratory/niaes/
歴史的農業環境閲覧システム
地理情報システム ひなたGIS
https://hgis.pref.miyazaki.lg.jp/hinata/