ハイ、ここは武蔵国分寺跡資料館の入口です。
JR西国分寺駅からは、だいぶ歩きますよ。
そして、隣にある茶店で入場券を買ったら、記念写真です。
ここにはだいぶ前に、ブロンプトン君と近くまで来ました。
今回は園内をあっちこっち見て回るので、歩いて来たのです。
そして長屋門をくぐると、こちらが資料館でした。
なんとなく普通の民家風ですね。
そして一階にはこのジオラマが、真ん中にドデンとありました。
武蔵国分寺とその周りをイメージしてあります。
で、ここに来た目的ですけど、古い時代にあった武蔵国分寺の跡を見て、当時使われていた柱の大きさを想像するという、まことにヘンテコリンなものです。
どうですか、手前の七重塔が、ひときわ目立っていますね。
そしてのジオラマの周りを、あっちから見たり、こっちから見たり、ぐーるぐる。
ひととおり事前情報を頭に入れたら、このあとは現地訪問ですよ。
とことこ歩いて、まずは金堂跡です。
あたりまえですけど、この周りは全部遺跡なので、まったく建物がありません。
街灯もないから、夜はさみしいだろうなー。
こちらの案内も、フムフムと読みましょうね。
そして次の写真のように、礎石がきれいに並んでいます。
先ほど、ここに来た目的を書きましたけど、きっかけは「多摩川の筏道」の件です。
では、きっかけの話をします。
いくつかの資料によると、多摩川の筏流しは江戸時代に盛んになったとあります。
で、この武蔵国分寺や大國魂神社は、多摩川に近く、時代も江戸時代以前のものです。
そうすると、ここで使われた木材はどこから持ってきたのでしょうか。
もしかしたら、奥多摩から筏で流してきたのかなとも思いました。
そこで、現地には、なにかのヒントがあるかなと思ってやってきたのです。
そしてこちらが、七重塔の跡です。
ここにも礎石が並んでいます。
では次の写真にある、手前の石の寸法を測ってみましょう。
わたしの採寸では、横は147センチ、縦は138センチでした。
さっき見た金堂跡の礎石も大きかったけど、この七重塔の礎石は、それ以上です。
そしてこの礎石の上に乗せる木材の直径は、数十センチだったと思います。
ということは、筏流しでは運べない大きさですね。
聞き書きの資料によると、多摩川で流した木材の寸法は、角材で最大五寸でした。
約15センチの角材です。
この礎石から想像して、例えば直径が60から70センチの丸太材だとすると、川床をこすってしまいます。
これでは筏流しになりません。
奥多摩から筏で流ことはできないです。
七重塔の柱が、とんでもなく太かったということがわかって、なんとなく納得したところで、この案内が目に入りました。
よく見ると、ここでの禁止が書いてありますよ。
それは「地面を掘ること」でした。
この辺り一帯、自由に入ることができるから、やる人がいたんだろうね。
この近くの「お鷹の道」ポタリング
多摩川を流れた筏です
●記録
月日:2024年4月21日 日曜日
時間:午前
場所:武蔵国分寺跡公園
距離:徒歩