ブロンプトンで遠足

歩いて散歩・ブロンプトンで散歩

長崎市内を見て回り。路面電車で一日アッチコッチ

きょうは路面電車で市内を回りますよ

 

路面電車の正式名称は、長崎電気軌道株式会社といいます。

 

観光案内所で買った、一日乗車券の500円で、4つの系統を乗りたおします。

ほー、路面電車のおまつりがあるんですか。

大きな観光地だけあって、町かどの名所案内もあっちこっちをさしてます。

最初にきたのは、ここ大浦天主堂

 

高校生の定番の修学旅行コースですね。

 

いまどきの女子高生たちは、名所のことより、スマホで「自撮り」に夢中です。

そして入館料金は、国宝だけに600円でした。

当然、内部は撮影禁止。

 

にわか教会評論家としては、内装も含めて、落ち着いた雰囲気でしたね。

(わかった風に言う)

みなさんが行くグラバー園には入りませんでした。

 

たぶん、観光のお客さんでゴチャゴチャでしょうからね。

 

そのかわりにソフトクリームをパチリ。

 

このソフトクリームは、どこの観光地にもありますね。

 

なんで?

グラバー園の坂を下りていくと、こんなものがあります。

 

このあたりは居留地だったんですか。

 

南山手居留地跡

そしてここは、長崎での電信の創業地で、しかも国際電信の発祥地だったんです。

 

海底ケーブルで、長崎と上海、長崎とウラジオストックとの国際電信をしたんだそうです。

 

女子高生はここのポイントを見ないんだなー

 

君たちが持っているスマホの始まりだぞー。

 

おーい、聞いてるかー。

そしてその場所には、ホテルが建ってました。

さて、大浦東山手居留地跡の坂を上って行きますよ。

ハイ、すんごくゆーめーな、オランダ坂です。

 

みんなが歩くもんだから、石がつるつるで、ここは雨の日は危ないよ。

 

ほんとーにツルツルですね。

オランダ坂を登ったところに、学校の同窓会事務所がありました。

 

ふと、門の下のほうに、何やら説明が。

なるほど、この小さな石は、居留地当時のものなので、大切にしましょうと言ってます。

 

教育委員会が言ってるんだぞー。

 

おーい女子高生、聞いてるかー。

遠見番跡とい場所に来ました。

 

当時は、ここから港を見て、船の出入りを見張っていたんですね。

 

いまでは海も見えません。

そして、そこの見張りが十人だったので、ここを十人町としました。

 

わかりやすいな。

だいぶ歩きました。

 

長崎電話交換局之跡

 

ここは、九州で最初の電話交換をした場所とあります。

 

電話の交換台があったんですね。

 

明治32年。

 

当時の女性交換手は、紫のはかま姿だったので、「紫式部」なんていわれていたそうです。

 

あこがれの職業だったんでしょうね。

 

おーい女子高生、スマホはじめて物語だぞー、聞いてるかー。

そんな最初の電話交換台の場所は、出島和蘭商館の目の前でした。

いま歩いている場所は、出島の敷地内です

 

そして出島のミニチュアです。

 

たいへんに、細かくできてますよ。

では、つぎの場所へ移動します。

 

こんどは緑の電車に乗りますよ。

車窓から。

 

このコピー、うまい!

ほー、白い電車もあるんだ。

こっちは、赤いイメージ。

運転席は、ツーハンドルでした。

路面電車の車窓から。

電車の中吊り広告。

 

「おでん電車」って、なんだろう?

 

路面電車のなかで、おでんを食べて宴会かな?

この車の履歴書です。

 

この車両65歳なんですね。

 

おつかれさまです。

そして、浦上天主堂に来ました。

 

ここも写真はだめでした。

 

こちらの教会は、ステンドグラスがいいです。

 

華やかさがありますね。(にわか教会評論家)

で、協会の坂を下っていったら、こんな素敵なものがありました。

 

天主公園の壁です。

 

こういうのを写真のおみやげにするんだよ、女子高生、おーい聞いてるかー

長崎市の花、アジサイのマンホール蓋でした。

二十六聖人です。

そしてこの場所は、浦上街道のはじまりの場所でもありました。

 

○月日・2015年9月28日 月曜日

○時間・8時~15時

○場所・長崎市内

○距離・0km