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わたしがいるここは、幸区の幸文化センターで、その裏庭です。
ここにはこんな碑がありました。
川崎市水道発祥地之碑
「川崎市水道発祥地之碑」とありますね。
ここは川崎市に最初にできた、近代的な水道施設の跡だったんですね。
水道施設は大正10年に完成したということです。
当時の写真を案内板として作ってありました。
で、その写真をよーく見たんですよ。
そしたらこの人は、記念撮影だということで片足をハシゴにかけて、 手はポケットに入れてます。
たぶん、めいっぱいにカッコつけたんでしょうね。
下の写真の男性はネクタイにスーツ姿ですね。
そして作業中の足場の上に座り込んで、こっちを見ています。
たぶん工事作業の人ではなくて、写真を撮るということで、事務方の偉いさんがお出ましになって、ではちっとカッコつけるかというポーズにしたんでしょう。
この写真を撮ったのは大正10年ころですから、今のようなデジカメでスナップ写真を気軽に撮るということはできないです。
当時はフイルムサイズが4×5インチのカメラです。
カメラのことを「暗箱」といいました。
暗箱は全部が木製でして、三脚の上にドッカリと固定します。
そしてフイルムをガシャンと装填して、冠布という光を遮る布をかぶって、ジックリと撮る必要があります。
そのあいだ、この紳士はここでジーットしていたんですね。
事前に話しをつけておくことも必要ですから、この男性はかなり前から、しっかりと準備をしてこの日になったんでしょうね。
この写真一枚から、いろいろと背景が見えてきますよ。
いやーお疲れさまでした。
で、わたしもパチパチと写真を撮っていて、ふと足元を見たら、ここの丸石にヘコミがありますよ。
ここにある全部の石に同じようなヘコミがあるということは、この石は当時のままの石を使っているのでないかな。
この「石のヘコミに歴史あり」ですね。
大師電気鉄道の六郷橋停留所
そんな歴史ある石のあとは、さらにポタポタと走りました。
ここは鉄道ファンの「てっちゃん」なら知っているでしょうね。
そうです、「大師電気鉄道の六郷橋停留所」の跡です。
写真のなんとなくへこんでいる、駅のホームのような場所が、停留所の跡ですね。
キッチリと遺してあるところが、いいじゃないですか。
京急さんはイイシゴトしてます。
そしてその場所には、観光ガイドの案内もありますよ。
川崎宿の風景が絵になっている
江戸から多摩川を渡って、やっとこさ着いたところが、ここ川崎宿でした。
そんな案内ですね。
で、当時の川崎宿の風景が絵になっていて、それをジックリと見ました。
下の絵、魚屋さんでしょうか。
手にしているのは、ヒラメかカレイかな。
この宿、本日も大繁盛で、女将さんは魚屋のタスケさんにご発注です。
いつもより大量に持ち込んでいますね。
そしてこっちの三人の旅人さんは、ただいま宴会の真っ最中です。
三人の表情がいいですね。
手前の男性、足袋のようなワラジのようなものを履いていますよ。
でも絵の雰囲気はワラジっぽいなー。
それに、右下の女性の表情も、なんともいいでしょ。
繁盛していると、笑顔になるんですね。
本日も、川崎宿は大賑わいです。
で、まったくかわって、ここに来ました。
京急大師線の港町駅です。
以前にも一度来ましたね。
港町駅には大スターが
改札の横には、大スターがお出迎えです。
ここはだーいぶ昔にレコード会社、コロムビアの工場があった場所ですからね。
コロンビアではなくて、コロムビアです。
「ン」ではないですよ「ム」です。
この駅の改札口の壁にこんなものが、この表彰状は初めて見ましたね。
なるほど、この駅は「たいへんにきれいにできました」と、川崎市から表彰されたんですよ。
たしかに、駅の構内には楽譜の模様のオブジェや、駅ホームには、でっかい楽譜の絵もあって、なるほどです。
マンホールの蓋も川崎宿してる
それにしても、今日は風が強くて、なかなか進めないです。
16インチで変速ギアが無い、わたしの自転車では、ここいらが限界ですね。
ではこの旧東海道を走って、帰りの駅に向かいましょう。
と、信号を待っていたら、楽しいマンホールのふたに出会いました。
このころも、川崎宿はにぎわっていたんですね。
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○月日:2019年11月20日 水曜日
○時間:10時~14時
○場所:川崎市内あっちこっち
○距離:25km
●出典・地図について
このブログに使われいてる地図や空中写真は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html