吉野ヶ里遺跡は、学校の教科書に載っていたのは覚えてますよ。
で、この施設は国と県が管理しいて、入場料は420円でした。
なかに入ったばかりですけど、印象はとにかく広いです。
ここは、とてもとても一日でも全部を回りきれないですね。
広すぎるので、いくつかの区画になってまして、わたしは南内郭(みなみないかく)という場所に行きます。
兵士の見張りやぐらです。
発掘したときに出た柱の跡の上に、そのまま今の柱を立てた、ということでした。
位置関係はそのままになってますよと説明員の話です。
ところで、かなりの数で説明員の人が施設内を回っています。
しかも、弥生時代の衣装で歩いてます。
やっぱりここまでやらないと、だめですよね。
で、この専門家にいろいろと聞くのがいいんだろうと、気づきました。
この家、当時のこの村の偉い人の家だそうです。
見張りやぐらからの景色です。
こう見ると、家と家がかなり密着してたんですね。
で、なんでこんなに密集しているのかなーって、風船あたまのおじさんは思ってしまったんですね。
そこで弥生時代の衣装の説明員さんに質問をしましたよ。
そしたら、ここに住んでいる人たちは、選ばれた人たちということでした。
つまり、吉野ヶ里遺跡は当時の庶民の町ではなくて、ハイソな人たちの町だった、ということですよね。
これは、この村の最高会議をする会場です。
当時の国会議事堂ということでしょうか。
国会議事堂がある町といったら、永田町ですよね。
つまり、吉野ケ里遺跡は、現在でいうと永田町に住んでいる人たちの町だったんですね。
そしてこの建屋も、柱はそのままの場所に立ててあります(説明員談)
吉野ヶ里遺跡を後にして、ぽたぽた行くと、ん?なんだこれ?
自動車専用道路の街灯は、トンボでした。
おばあちゃんは、ぽかぽか温泉へバスで行きます(孫の日記より)
このネーミング、最高ですね。
佐賀はムツゴロウがスターですかね?
やっぱりそうなんだ。
むつごろう王国っていうくらいですからね。
○月日・2015年9月22日火曜日
○時間・9時~16時
○場所・佐賀県吉野ヶ里→武雄
○距離・53km