本日は、というか本日も、地味ーな場所に来ています。
六郷用水の多摩川取り入れ口です。
ホントッ、超ローカルな話題ですね。
そして、今いるここがその記念碑です。
記念碑のすぐ向こうは、多摩川です(あたりまえ)
この六郷用水の取り入れ口の記念碑には、写真が焼き付けてあって、当時の雰囲気を伝えていますよ。
かなり貴重な写真だと思います。
松のみごとな枝ぶりの良さは、写真でも想像できます。
そしてちょっとオモシロのは、船頭さんが竿をまっすぐに立てて、となりのお客さんも山高帽子で固まっているような、二人とも完全にモデルをしてますね。
この写真の竿の左側の川の奥に写っている、へこんだところが多摩川からの六郷用水の取り入れ口でしょう。
そんな記念碑の写真を見てつぎの来た場所は、ここです。
さっきの記念碑からは、直線で50メートルくらいかな。
下の写真がその場所ですけど、“なんとなく忘れられた”、っていう雰囲気ですね。
いやいやどーして、ここはたいへんに重要なところだったんですよ。
ここにある水彩画は小町常治さんの作品で、明治から大正のころ、ここにあった料亭「玉翠園」の絵です。
(ここで業務連絡。ご関係者様へ、大切な絵がはがれ落ちそうですよ)
下の写真は、その水彩画の拡大です。
船着き場と石垣、そして石垣の上にある建物。
どれも丁寧に描かれてますね。
六郷用水の取り入れ口もしっかりとありますよ。
現地にある小町常治さんの作品を複写してます
その石垣は今でも残っていました。
つぎの写真はその石垣で、比較的ちいさい石を集めて、これも丁寧に並べてあります。
水彩画と下の写真を比較するとわかりますけど、わたしの自転車がある辺りが当時の船着き場ですね。
そして、わたしが立っているところは、料亭「玉翠園」が栄えたころの、多摩川の流れの中ということになります。
細い登りの路を歩いて、石垣の上に来ました。
いま、ここは狛江市の根川公園になっています。
そして、水彩画からわかることは、ここが料亭「玉翠園」だったんですよ
いまでは、この場所は子供たちの遊び場になっていますけど、当時は高級料亭だったんですね。
と、ここまでが今回のポタリングの成果でした。
ヨシヨシと満足していたんですけど、オヤ?・・・
もう一度、六郷用水の記念碑の写真を見てみましょう。
よーく見ます。
そうして、先ほどの小町常治さんの水彩画と比較します。
そうすると、なんとなくわかってきました。
わかったこと、その一
記念碑の写真を撮った日は、多摩川の水量がかなり多かった。
たぶん、大雨の後の写真ではないかな。
なぜなら、水彩画には石垣の下に船着き場がある。
写真には船着き場が写ってない。
わかったこと、その二
ふたつの証拠品(おおげさ)から、石垣のすぐ前までが、多摩川の流れだった。
これはおおきな発見ですよ。
下の写真は、石垣の前の道路の「六郷さくら通り」という、バス通りです。
玉翠園が盛んだったころは、このあたりまで多摩川だったんですね。
ということまでわかって来て、フムフムと満足して、帰りの多摩川サイクルロードを走っています。
そしたらまた??
ということは、いま走っているこの多摩川土手は、いつできたの??
こうなると、今夜は眠れないなー
そんなノー天気おじさんのクエスチョンなんか、ぜんぜん気にしませんよと、土手の桜さんは春を待ってました。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
●記録
○月日:2020年1月16日 木曜日
○時間:12時~14時
○場所:狛江の和泉町
○距離:17Km
●関連したもの
六郷用水は空中写真から探して、そのまんま走ります(1) 狛江の取入口から喜多見7丁目まで
●出典・地図について
このブログに使われいてる地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図「タイル」、陰影地形図「アナグリフ」、空中写真などを複製し、自転車走行軌跡や記号等を追加して掲載してます。
地理院タイル一覧ページ
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html