ここは横浜駅西口から歩いて15分。
横浜市西区浅間町の浅間神社の近くにいます。
目の前の信号も、そのまんまの名前で「浅間下」
この場所は横浜開港のころに作った「よこはま道」の始まりの場所です。
始まりの場所には、デッカイ説明案内もありますよ。
それで今回のテーマは
横浜開港のころの旧東海道と横浜港をつないだ重要な道路「よこはま道」を歩く
ということにしました。
きょうはその1回目です。
それでもって説明案内にある図ですけど、雨風でカスレて、よく読めないですね。
では、横浜市西区さんのホームページを見て「よこはま道」 についての内容を使わせてもらいます。
「よこはま道」を「横浜道」っていう書き方もありますけど、ここでは「よこはま道」という表現にします。
わたしは読み方も「よこはまみち」としてます。
なんとなく、ひらがなのほうが、柔らかい表現なんでね。
つぎの図は、西区のホームページからで、
・赤い線は旧東海道
・青い線は「よこはま道」
です。
「よこはま道」は全長で約7kmほどで、横浜開港のころ、旧東海道と横浜港をつないだ重要な道路です。
今回は一回目なので、図の〈開始〉という場所から〈終了〉という場所までの散歩にします。
わたしが歩いて、見て写真を撮ったものを、いろいろと書いてみます。
横浜市西区ホームページ 西区歴史さんぽみち 概要 横浜市西区
ということで、わたしの前の案内柱の向こうの道路が旧東海道です。
今の名前は「横浜市主要地方道83号」っていう、一度聞いてもほとんどの人は「どこ?」でしようね。
横浜市も、この「よこはま道」については重要な位置づけをしているようで、案内柱もなんとなく、威張っているような雰囲気をだしてます(わたしにだけか)
足元にも、案内板が埋め込まれています。
左の赤い四角が旧東海道の案内で、右の青い四角が「よこはま道」です。
ではこの青い四角の「よこはま道」の方向に従って、歩きましょう。
すこし行くと、電柱に
「ここは浅間町1-1だけんネ。浅間町のドマンカナだぞ」
って、言われてたような気がしました。
電柱さんへ「ヘッへー」とあいさつをして、また歩きます。
しばらくして、ここは新田間橋(あらたまはし)の信号です。
つぎの写真でバスの左にある、なんとなくマールい手すりが新田間橋(あらたまはし)です。
新田間橋(あらたまはし)を渡った袂の左手には、この案内柱がスックと立ってます。
いそがしそうにこの橋を通る人は、この柱に向かって、フムフムと読んでときどきうなづいているおじさんを、すこーし離れて歩くんでしょうか。
なんとなく私の周りは、空間が大きいです。
この案内には、突貫工事で作った「よこはま道」は、旧東海道と横浜港の間を行く人たちで、ワンサカだったということが書いてありますね。
それに、この新田間橋(あらたまはし)は、反り橋だったともあります。
このひとつ前のバスが映っている写真でも、バスの横の橋の手すりが、すこーし丸いです。
震災後の再建で、新田間橋(あらたまはし)を、すこーし反り橋にしたのかな。
反り橋にガッテンして、またまた歩いてます。
やってきたところの先は線路になってました。
昔むかしの「よこはま道」は、この先も “ みち ” が続いていたのでしょうけど、現在ではこんな風になってました。
それで、つぎの写真の右が相模鉄道の平沼橋駅、左が横浜駅です。
私のように、ここにきて “ あれ? ” と思う人がたくさんいるのでしょう、そんな迷子の人たちに、昔の「よこはま道」はこうですよと案内が出てます。
見ると、古いふるい時代の錦絵ですね。
で、この錦絵ではどっちへ行くのかわからないので、とりあえずこっちへ行ってみっか、と歩きだしました。
ここからが、大回りの道になってしまいました。
なかなか線路を横断することができないんです。
結局、平沼橋駅の陸橋を渡って反対側へ出ました。
そして歩いてきて、ここは平沼商店街の入り口です。
わたしがいる場所の、ちょっと離れた右側は、交差点の平沼一丁目です。
じつは、ここまで来るのに、路地を一本間違えました。
つぎの写真の平沼商店街の、左側の路地を歩いてここまで来ました。
「よこはま道」は、この平沼商店街を通るのが、正しいようです。
まあこのくらいは、誤差の範囲ということにします。
つぎの地図は、実際に間違えたルートです。
ウロウロして、気が付きました。
※上図は国土地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
さらにワッセワッセと歩きましょう。
ここは敷島橋を渡ったところ
ここにも「よこはま道」の案内板があります。
ところでこの案内板ですけど、すこし変わったデザインですね。
このデザインに、もう気づいた人がいるかも。
たぶんですけど、このデザインは三つの道を表しています。
それは、三本の線のうち
- 右上から左下への線は、旧東海道です。
- 左上から右下への線は、「よこはま道」、横浜道です。
- そして二本の線を結ぶ、横の線は「保土ヶ谷道」かな。
つぎの絵がわかりやすいでしょ。
横浜市西区には、この三本の古い道が通っているんですよ。
これは区役所の人に聞いたわけではないので、正しいかどうかはわかりませんけど、たぶんシェーカイだと思いますよ。
案内板のデザインあれこれはこれくらいにして、歩きましょう。
でもときどき、町内の掲示板が気になります。
ここは桜木町町内会の案内です。
ナニナニ「とべのお茶の間」
よく読むと、いいですね、100円で美味しいコーヒーが飲めて、脳トレもできるんですか。
おじいちゃ、おばあちゃんの楽園ですね。
そしてここは、戸部七丁目交差点です。
広い交差点にも「よこはま道」の案内が立ってます。
そして交差点を渡りました。
ここでさっきの西区のホームページの資料を見ましょう。
つぎの地図です。
わたしがいる場所は、終了の文字があるところです。
西区の資料によると、ここに関門があったようですね。
関門跡という文字と、いかにも道をふさいでいる絵が描いてあります。
ところで関門というと、吉田橋の関門が思い浮かびますけど、開港当時はいくつもの関門があったそうです。
わたしが以前に歩いた、谷戸橋や前田橋、西の橋などが有名ですけど、なんでも20か所の関門があったとか。
この「よこはま道」でも、ちょっとアブナイ与太郎さんは “ 入っちゃダメ ” になったのかな。
横浜市西区ホームページ 西区歴史さんぽみち 概要 横浜市西区
つぎの写真は、その関門跡があったという街角です。
いまの景色では想像もできないですね。
そしてこちらが、与太郎さんが入れなかった関門の続きの「よこはま道」です。
次回はここから開始します。
●記録
月日:2020年12月3日 木曜日
時間:10時~14時
場所:横浜市西区
距離:7Km徒歩
●関連したもの
「よこはま道」を歩く・その2 戸部七丁目交差点から吉田橋まで
『関門は関内のはじまり』谷戸橋 昔の谷戸橋は、今のフランス橋の下
『 関門は関内のはじまり』前田橋・西の橋 路地をふさぐ関門で、与太郎さんもザンネン
●参考資料・引用元
※ブログに掲載した資料は元の情報を複製し加工してあります
横浜市西区ホームページ
●地図について
このブログに使われている地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図(タイル)または、地理院撮影の空中写真を複製し、自転車走行軌跡等を追加加工したものです。国土地理院:https://maps.gsi.go.jp/