今月の18日に「発祥の地めぐり」をしました。
明治のころからずーっと湧き出している「鉄道のわき水」を見ましたね。
で、その日の後半は「よこはま道」も歩きました。
18日は、前回とは逆の関内方面からです。
というこで、18日の記録を元に書いていきます。
で、今回のテーマは、
前回の課題だった “ 野毛の切通しの高さの雰囲気 ” がうまく伝わるか
です。
横浜市西区ホームページ 西区歴史さんぽみち 概要 横浜市西区
ハイ、野毛坂下交差点にいます。
ここからは写真の右側の歩道を歩きましょう。
写真でもわかるように、野毛坂はダラーっと長いです。
歩道を歩いて、野毛坂のバス停です。
この道路の反対側にも、同じ名前のバス停がありますよ。
つぎの写真を見てくたせさい、どうですか、ダラーっと続いてますね。
そしてここは宮崎町。
なんで宮崎なんだろうな?
ところで、横浜開港後、横浜の町名には日本全国の名前を付けてます。
これは急に町ができて、町名をなににしようかといろいろ考えて、とりあえず付けたのかなーと思います(たぶんです)
いまでも残っているのは「加賀町警察」っていう名前がありますね。
アレ、脱線しました。
で、この宮崎町は、なんで?
つぎの写真は、歩いてきた歩道を振り返ってみてます。
ここは目視での最高高度だと思いますよ。
右と左の風景は下り坂です。
そしてここにも案内柱です。
「野毛の切通し」というタイトルでした。
その案内の写真を拡大します。
道路拡張前の写真ということで、次期は冬で、かなりの雪です。
道路を広げる前でも、これだけの切通しになっていたんですね。
横浜開港で、急いでこの切通しを広げたんだ。
この切通しを、雪の日に関内から歩いてくるのは、たいへんだったろなー
でつぎの写真は、現在の切通しです。
道は舗装されて、切通しの壁もコンクリートになってます。
つぎの写真は、歩いている歩道側のマンションの裏です。
このマンションがなければ、切通しの壁がそのまんま見えるんでしようね。
かなり高そうな壁ですよ。
「伊勢山皇大神宮」の交差点に来ました。
ここにも案内柱がありますよ。
「戸部・野毛の丘」というタイトルです。
きょうここまで歩いてきて、野毛の丘はかなり広い丘だということが、よーくわかりました。
その広い丘の坂は、ダラーっと長いです。
さてここからは下り坂です。
「よこはま道」の案内プレートも “ こっちだよ ” って、すすむ方向を示しているようです。
スタスタ歩いていると、どうしても町内案内が気になりました。
見ると「西区ゆっくり散歩」ですか。
わたしはそこそこ早歩きですけど、こうしてアッチコッチ見て止まってしまうので、あんまり進まないですね。
GPSを持って歩いてますけど、移動している時間と止まっている時間が、かなりの頻度で同じです。
下り坂も終わって、そろそろ終点です。
ハイ、終点の戸部七丁目交差点に到着しました。
今回は、野毛のダラダラ坂を味わいましたよー
ここからは地図を使って、野毛の切通しと野毛の丘の高さをみてみましょう。
つぎの地図で、赤丸が写真撮影した場所です。
今回の歩きコースでは、この三ケ所が重点ポイントです。
出典:国土地理院 地理院タイルに場所等の名前や記号を追記して掲載
その三ヶ所の高さを示します。
歩いたなかでの一番高いところで28mでした(端数は切り捨て)
30mを切っているから、そんなでもないと思うでしょうけど、あのダラダラ坂はなかなかの難敵ですよ。
そしてこの立体図でわかりますけど、野毛の丘の広さですね。
切通しの両側に丘が広がっています。
前回と今回で、この切通しを往復したことで、ダラダラ坂を味わいました。
今回のテーマの “ 野毛の切通しの高さの雰囲気 ”、分かりましたか?
●参考資料・引用元
※ブログに掲載した資料は元の情報を複製し加工してあります
https://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/shokai/kanko/courses/rekishisanpo/rekishikaido.html
●関連したもの
「よこはま道」を歩く・その1 浅間神社下から戸部七丁目交差点まで
「よこはま道」を歩く・その2 戸部七丁目交差点から吉田橋まで
横浜開港のころの道「よこはま道」のいろいろ
●地図について
このブログに使われている地図や空中写真の一部は、国土地理院発行の電子地形図(タイル)または、地理院撮影の空中写真を複製し、自転車走行軌跡等を追加加工したものです。国土地理院:https://maps.gsi.go.jp/